「YAMAHA FACTORY RACING TEAM」が
創立60周年を祝う19年ぶり5回目の優勝を獲得!
中須賀にMotoGPライダーを加えたファクトリー体制
2015年3月、ヤマハは東京都内でモータースポーツ活動計画発表会を開催し、日本国内におけるレース活動を技術開発や人材育成の拠点と位置付け、継続的に注力していく方針を説明。鈴鹿8時間耐久ロードレースにも、全日本選手権と同様、ファクトリー体制での参戦を明言した。
実現すれば、2002年に4位入賞を果たした吉川和多留/辻村猛(YZF-R7)以来のこと。ヤマハの“本気”にファンの期待が高まる中、5月下旬に「YAMAHA FACTORY RACING TEAM」の体制発表を行い、マシンは鈴鹿8耐専用の「YZF-R1」、ライダーは全日本のエース中須賀克行、MotoGPで活躍するポル・エスパルガロ、ブラッドリー・スミスの3名と決まった。
MotoGPライダーのふたりが初めて「YZF-R1」に乗ったのは、6月末のプライベートテスト。鈴鹿サーキットでの走行も初だったが、エスパルガロは「MotoGPのYZR-M1とはパワーや車重面などが違うけれど、マシンから伝わるフィーリング、例えばライン取りの自由度やコーナーでの切り返しはYZR-M1と同じと言っていい」。スミスも「本当にこれが市販車ベースなのかと驚いた。YZR-M1の技術がフィードバックされているとは聞いていたけれどね。確かに納得できた。ここまで完ぺきにマシンを仕上げた中須賀さんもすごいよ」と話した。
2日間のテストを終え、吉川和多留監督も手応え十分といった表情。「ポルとブラッドリーの満足したコメントを聞いて、ひとまず安心した。何より、マシンを作ってきた中須賀がいちばん喜んでいると思うし、自信にもつながっただろう」
その後、2回目の鈴鹿8耐公開合同テストでは「YAMALUBE RACING TEAM」の野左根航汰と藤田拓哉がマシンを引き継ぎ、大会直前の7月中旬の公開合同テストで中須賀、エスパルガロ、スミスの3人が集合。マシンセッティングやピットワーク練習など、最後の煮詰めを行った。
エスパルガロが驚異のタイムでポールポジション
7月23日(木)、いよいよ鈴鹿8耐レースウイークが開幕。その公式練習で「YAMAHA FACTORY RACING TEAM」の3人はそろって2分7秒台を記録。エスパルガロの2分7秒282が初日のトップタイムとなった。
2日目のフリー走行でも、「YAMAHA FACTORY RACING TEAM」は2分7秒888で総合トップ。その後の公式予選では中須賀が2分6秒877を記録し、総合3番手で上位10チームが決勝のグリッドを争うTOP10トライアルに進出した。
そして土曜日、「YAMAHA FACTORY RACING TEAM」から出走したライダーふたりが、TOP10トライアルで驚異的なパフォーマンスを見せつける。まずエスパルガロが、前年のポールポジションタイム2分6秒703を遥かにしのぐ2分6秒000を叩き出す。しかし中須賀も、2012・13年連続のポールシッター。気合い十分の走りで自己ベストを更新したが、わずか0秒059及ばなかった。
「もちろん悔しいけれど、チームとしてポールポジションが獲れたことは大きい。最高のパフォーマンスだった」と中須賀。「中須賀さんのアタックは本当にドキドキしたよ! 最高にうれしい。でも肝心なのは、僕たち3人がそろって速いということだ」とエスパルガロは、決勝に向けて自信をうかがわせた。
盤石のレース運び、チームワークで勝ち取った栄冠!
7月26日(日)の鈴鹿8耐決勝は、合計6回もセーフティーカーが入るなど、大荒れの展開となった。
定刻の午前11時30分にスタートが切られたが、スタートライダーを務めた中須賀は始動に時間がかかり順位を落としてしまう。しかし、14周目に3番手に上がると、ここからは無理せず、前車のスリップストリームを巧みに利用し燃費走行を徹底。これが功を奏して、最初のスティントを28周まで引っ張ったのだ。これには吉川監督も驚きを隠さず「作戦として、1スティント目は無理をせずに燃費走行しようと決めていましたが、ここまで引っ張ってくれるとは、いい意味で想定外。さすがエースライダー」と話した。
続いて登場したのはスミス。中須賀からマシンを受けると、着実にハイペースで周回する。するとライバルチームのアクシデントもあり、55周目、第1コーナーでいよいよトップに立ち、3番手エスパルガロに「YZF-R1」を託した。その後、エスパルガロも順調に周回を重ねていたが、ここで落とし穴が待っていた。セーフティーカー活動中の追い越しにより、30秒のストップ&ゴーペナルティが科せられてしまったのだ。
それでもチームは慌てない。エスパルガロから中須賀がマシンを受け継ぎ、中須賀からスミスへとつないだところでペナルティを消化。これでトップ争いは接戦となったが、3人のライダーがそろって圧倒的な速さを持つ「YAMAHA FACTORY RACING TEAM」は、レース終盤、再び大きなリードを築き上げた。そして最後は、6回目のセーフティーカー導入を挟みながら、スミスが半周近くの大差を守ってゴール! ヤマハにとって1996年以来19年ぶり、通算5回目の美酒を浴びた。
「ファクトリー体制の1年目で勝てるとは思っていなかった。ポルもブラッドリーも、本当に実力のあるライダーで、一緒に戦えて本当に楽しかった。全日本では5度タイトルを獲っていて、何度も優勝しているけれど、噂に聞いていた鈴鹿8耐の表彰台は格別だった」と中須賀が言えば、「優勝できて本当にハッピーだよ。僕のミスを、みんながカバーしてくれた。中須賀さんやブラッドリーと親友になれたし、伝統ある鈴鹿8耐に歴史の1ページを記すことができた。最高だ!!」とエスパルガロ。さらにスミスは「この素晴らしいプロジェクトに参加できたことを誇りに思っている。素晴らしいチームメイト、素晴らしいマシン、素晴らしいスタッフとともに優勝できたことは本当にうれしい」。
また吉川監督は、勝因について「まず第1スティント、中須賀の頑張り。それと、ペナルティを科せられヒートアップしていたポルをクールダウンしてくれたスタッフのファインプレー。ブラッドリーはチームのために自分を抑え、セーフティーカーがコースインした時に燃費を稼ごうと身体を伏せて走るなど、MotoGPライダーの勝利に賭ける意欲を見せてくれた。すばらしい体制で鈴鹿8耐を戦い、優勝できたのはチーム全員の献身のおかげ」と語り、レースを締めくくった。
ヤマハ2015年鈴鹿8耐レースダイジェスト
2015鈴鹿8耐優勝ライダーインタビュー
GMT94 YAMAHAが世界耐久ランキング2位を獲得
世界耐久選手権にレギュラー参戦する「GMT94 YAMAHA」は、第2戦となったこの鈴鹿8耐で、終盤4位につけ、3位表彰台も狙える位置にいたが不運な幕切れとなった。「最後のセーフティカー導入こそ悪夢だった。5位に50秒もの差をつけていたのに、セーフティカーが入るタイミングが悪く、6位になってしまったんだからね」と無念の表情を浮かべたクリストフ・ギュオ監督。
しかし、2015シリーズの開幕戦ル・マン24時間で5位、鈴鹿8耐で6位と着実に入賞を積み重ねたGMT94は、第3戦オッシャーズレーベン8時間では今季初の3位表彰台を獲得。さらにヤマハ創立60周年記念カラーをまとった「YZF-R1」で出場した最終戦のボルドール24時間も2位でフィニッシュ。2004年、2013年に続くチャンピオンには届かなかったもののランキング2位とし、鈴鹿8耐での優勝と合わせて「YZF-R1」の実力を世界へと発信した。