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Yamaha Journey vol.30

ヤマハ XT660Z テネレに乗るメタボン(望月康司)のユーラシア~アフリカ大陸横断ツーリング体験談です。

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地平線の先に広がる奇跡の出会い

メタボン

XT660Z テネレ

#04 悠久の大地・アフリカの自然と人々
2019年 アフリカ大陸 後編

東京の下町生まれ。日本ではロスト・ジェネレーションともいわれる1970年代前半に生まれて明るい未来を描けないまま、なにかを成し遂げたいという気持ちだけはくすぶり続けてきたメタボン(望月康司)さん。さまざまな出来事に背中を押されて出発し、人々の助けを借りながら突き進み、時に立ち止まる、ユーラシア~アフリカ大陸横断の旅。アフリカ大陸の壮大な自然の中、人々や動物たちと触れ合い、時に政局に翻弄されながら目指す、旅の終着点ケープタウン。

単独のサイクリストとすれ違った。
我々が通過してきた悪路に1人で立ち向かう勇気に感銘を受けた。

ベンゲラ周辺(アンゴラ)

象の集団生活が目の前で見られるエレファントサンズ。鳴き声も肌に響く迫力がある。

エレファントサンズ(ボツワナ)

滝壺から噴き上がる水しぶきに全身ずぶ濡れ。虹を真上から見下ろすと円を描くと知った。

ビクトリアフォールズ(ジンバブエ)

何気ない出会いからホームステイ。一生忘れられない家族との思い出。全ては一期一会。

グレン・オーグス・ファーム(南アフリカ)

ダチョウと並走しつつ、ボツワナを東へ

ナミビアの国境を超え、キリンや象が草を食み、イボイノシシがうろつくのを横目に、ボツワナ郊外を東へと走らせる。最高速度は70km/hにも達するというダチョウと並走することもあった。はじめてダチョウに追いかけられたときには恐怖を感じたが、慣れるとなかなか楽しい経験だった。
道端でさまざまな動物を見ることのできるボツワナは、アドベンチャーを楽しむ観光地として人気で、キャンプサイト併設のホテルも多い。その中でも有名な象と共存しているキャンプ場、Elephant Sandsでテント泊。象たちは水飲み場に来るほか、夜にキャンプファイヤーしていても寄って来るほど人馴れしている。思わず写真を撮りに近づいてしまいそうだが、人間から近づいていくと危ないらしい。テントが踏まれないか心配しながら眠りについた。

翌日はバオバブが群生しているマカディカディパン国立公園のplanet baobabへ。夜にはライトアップされ、バオバブ独特の樹皮の色と青い空の対比が幻想的だった。

ハイパーインフレに翻弄されたジンバブエ

ジンバブエへと入国し、世界最大級の滝、ビクトリアフォールズへ。入場料金は30USドルとなかなかの価格だが、ヘリコプターをチャーターして上空から見るという人も少なくないらしい。まさに地球の割れ目のような滝壷に、ザンベジ川の水が爆音を立てながら流れ落ちてゆく様は圧巻。舞い上がった水飛沫で作られた虹をまるで手でつかめるほどの距離で見ることができ、さらに虹が円になる姿も目撃したのは感動した。

ジンバブエではUSドルも使えるが、非常に割が悪かったため現地通貨であるジンバブエドルを調達することに。だが、どこのATMに行っても行列ばかり。とにかく並んでいればなんとかなるだろう、と待っていても、すぐにATMが空っぽになってしまう。そんなことを2日繰り返すうちにさすがに嫌になってしまい、銀行で50ユーロ札を換金しようとするも、手数料が26ユーロ必要と言われて馬鹿らしくなり退散。結局ホテルスタッフが50ユーロを換金してくれることになった。渡されたジンバブエドルは、数えられないくらい0のついたお札の束だった。
しかもスタッフも混乱していたのか、ホテル内のレートにも差があり、宿泊料金よりディナーのほうが高くなるというありさま。これにはどうにも嫌になってしまい、その晩は自炊することにした。
これがスーパーインフレか、ということはわかったが、やっぱり理解できない。通貨に対する感覚が狂ってしまい、一刻も早くこの国を出たいという気持ちに。逃げるように国境へと向かい、残ったジンバブエドルをガソリンに変えて南アフリカへ。帰国後に調べると、まさに2019年がインフレのピークだったらしく、貴重な体験ではあったが…二度とあんな思いはしたくない。

南アフリカでホームステイ、そしてケープタウンへ

ジンバブエを出国し、南アフリカを南下する道すがら、すり減ってしまったバイクのタイヤをプレトリアのバイク屋で交換。エンジンからの異音も気になっていたので、ポートエリザベスのゲストハウスで教えてもらったバイク店にてオーバーホールしてもらうことに。3日後にパーツが到着したとのメールが届いたので安心していたが、その後2週間は音沙汰なし。ようやく修理ができたと連絡が入り引き取りにいくと、ギアの調子が悪くオイルも漏れている。そんな調子で修理はなかなか進まず、結局4週間ほどかかってしまった。後日改めて検索すると、ポートエリザベスにもヤマハの正規取扱店があったことに気付く。修理を行う際には、焦らずに店を探すべきだったと後悔。

ふとSNSを見ると、馴染みのない人からメッセージが届いている。誰だろう?と思いながらチェックすると、ボツワナでのキャンプで知り合ったジョー・アンさんからだった。「南アフリカに入国したら、うちに立ち寄ってよ」というありがたいお言葉。長雨が続いていたため、ご自宅でホームステイさせて頂きつつ、雨をしのぐことに。
ジョー・アンさんとご主人のエバートさんには本当に親切にして頂いた。南アフリカには親戚や近所の人の家で交互にブラーイと呼ばれるバーベキューを行う文化があるらしく、ほぼ毎日ご一緒させて頂いた。南アフリカ西部の主言語はオランダ語と現地の言葉が融合したアフリカーンス語なのだが、英語も喋れる人も多い。日本語や英語を教え合いながらいろんなお話をしたのもいい思い出だ。

1週間ほどで雨も治まり、ホームステイ家族から勧められたアフリカ大陸最南端の町アグラスに立ち寄った後、海岸線の道路でケープタウンへ向かうことに。アグラスからケープタウンまでの沿岸線は、まるでハワイを連想させるような美しい風景に真っ⻘な海。喜望峰に面したフォールス湾では、暖流のアグラス海流と寒流のベンゲラ海流がぶつかって海の色が2つに分かれている様子を見られてラッキーだった。さらに海岸線を走らせると、巨大なテーブルマウンテンが姿を表した。
そして今回の旅の終着点、喜望峰へ。
先が見えないことも多かったアフリカ大陸を縦断できた事に達成感と安堵を覚えつつ、「もうどこの国でも走ることができるだろう」という自信が芽生えてくるのを感じる。そんな高揚感の中、バイクの輸送業者に梱包をお願いするとともに税関の手続を行う。途中ちょっとしたトラブルがあったものの、窓口の人が気を利かせてくれたのか、なんとか無事にバイクを送り出すことができた。フェリーで運ばれる我が愛車テネレは、1ヶ月半ほどで日本に到着するということだった。

タイで思い返す、6万5千キロの旅

テネレを送り出し、ケープタウン国際空港から乗り換え地点であるバンコクのスワンナプーム国際空港へ。思えば2004年、タイでの2週間のバイク旅が、今回のロングツーリングを決めたきっかけでもあった。その後バイク旅の先輩方の話を聞き、漠然と「なんとかなるだろう」との思いを募らせて今回の旅はスタートした。
当初はアフリカを経て南米へと渡るという計画もあったのだが、お金が尽きてしまったことに加えて家の事情もあり、南アフリカで一旦この旅を終えることにした。国から国へと移り変わる風景に慣れ、移動すること自体が目的のように感じてきていたことも、帰国を決めた理由のひとつだ。それならば、いったん日本へ帰国しリセットした上で、新鮮な気持ちで人々との出会いや旅先の風景を楽しんだほうがいいと気付いたのだ。
旅先ではさまざまなトラブルもあったが、それよりも思い出深いのはやはり人々との出会いだ。ロシアで出会った人々の陽気な人柄と周囲への気遣い。僕の舌に馴染む現地の味も、ロシアとアジアは隣り合わせという当然の事実を思い出させてくれた。ヨーロッパの人々からは、お金を使わずとも公園で過ごすだけで幸せという人生の楽しみ方を教えてもらった。見渡す限りなにもないモンゴルやアフリカの地でトラブルが起きたときに、現地の人々に助けてもらったことも多い。そして偶然出会い、言葉を交わし、つかの間の時間を過ごした世界中のライダーたちのことも忘れることはないだろう。
この先の人生も、バイクで旅をしながら世界中を旅したい。もし気に入った場所があれば、そこに住むこともあるかもしれない。それを現実逃避という人もいるだろうが、これが自分のスタイルだ。自分が生きた証として、旅先で出会った人々の記憶に残ることができたらいい。僕の冒険を記録した動画やブログが、見知らぬ誰かにワクワクした気持ちを届けられたら嬉しい。そんなことを考えながら、バイク旅を続けていきたいと思っている。

我が相棒・テネレとの再会

テネレが日本に到着したのは、アフリカを発って3ヶ月後のことだった。苦労しながら木枠を分解し、厳重に巻かれた梱包材を解いていくと、アフリカの匂いがまだ残るテネレが徐々に姿を現してくる。
ショウリョウバッタのような唯一無二の顔に、23リットルのビッグタンクを積んだ我が愛車。無数についた傷も、長い船旅でサビついてしまったチェーンも、10万キロを超えたメーターも、すべてが愛おしい。ウラジオストク港から喜望峰まで走り抜けながら、ずっと聞き続けてきたテネレのエンジン音。その音で調子を探りながら旅を続けてきたからなのか、路上で立ち往生することは一度もなかった。そんな相棒と世界中の風を感じながら走り、現地の人々と触れ合えたのは、本当に幸せなことだと思う。


メタボン(望月康司)

1975年 東京生まれ。
バイクが好き、キャンプが好き、焚き火が好き。
仕事中にも愛車テネレとの旅を妄想する毎日。
休みは愛車にまたがりツーリングで憂さ晴らし。
もっと遠くへ、もっともっと遠くへ…
いつの間にか異国の地へと思いは巡るようになった。

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