17新事業開拓に向けた飽くなきチャレンジ精神
社会課題に目を向け、ガス製品やバイオ事業にも挑戦。
1970年代、2度にわたるオイルショックを経験した世界経済は、石油依存度の軽減やエネルギー政策の再構築に視線を向けた。日本では1980年代に天然ガスなど代替エネルギー奨励策が国策として推進され、ヤマハは将来性の高い新事業としてガス・ヒートポンプ・エアコン(GHP)事業に参入した。
また、1997年にはCOP3の京都議定書により温室効果ガスの削減目標が提示された。これを受けてヤマハは、CO2を資源として活用する逆転の発想でバイオ事業にもチャレンジ。
ともに国の政策転換や経営環境の変化で撤退したものの、社会課題に目を向けて旺盛な新事業開拓精神を発揮した。
参照:Times of Yamaha
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GHPの開発にいた者です。
GHP開発に携わていました。
撤退直後はCPに商材や資料がありましたが、その後は撤去され、ヤマ発の歴史資料にはあまり紹介されていませんでした。
GHP開発はなかなか難しく、いつも大変な毎日でしたが、今思えば色々と学ばせてもらい、いい経験ができたと思っています。時々まだ現役で稼働している機材を見かけると懐かしくもなります。
そんな中、今回撤回した事業としてGHPも紹介して頂き、うれしく思います。