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Yamaha Day

Heritage ヤマハブランドの伝統

15生産効率の追求から生まれた産業用ロボット

きっかけは自社工場の自動化。そしてロボティクスの発展へ。

当時世界最高速のスカラロボット「YK8020」
世界初、ツインアーム式One by One 方式マウンタ「YM6000T」

事業のひろがりとともに生産モデルが多様化した1970年代、ヤマハは自社工場の生産効率化をめざして産業用ロボットの研究・開発に乗り出し、順次社内で実用化を進めてきた。
その技術を用いて1976年、産業用ロボットの製品化と社外販売を開始。直交ロボットやスカラロボット、サーフェスマウンター(表面実装機)などラインナップを拡充し、この事業で得た先進のロボティクス技術はヤマハの未来を拓く重要な基盤として育っていった。

参照:Times of Yamaha

Heritageクイズ

産業用ロボットとしてヤマハが現在までに扱っていないロボットは?

正解!Heritage level アップ! 不正解

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自立した「出島」で新規事業開拓を

ヤマハ発動機元社長 戸上 常司さん

二輪車を中心とした乗り物という事業領域、そしてコア技術の小型エンジンに関わる商品を提供してきた当社が、生産設備である産業用ロボットを事業として育てることが出来た大きな要因は3つあると回想している。

一つ目は本社から隔離された「出島」で小さく生まれ、小さくゆっくり育つ環境が維持されたことである。小さく生まれるということは、人が少なく、設備が少ないゆえに経費が少なくて全員が垣根を越えて効率的に働けるということ。小さくゆっくり育つということは、身の丈に合った事業活動で確実に売上を確保しつつ、市場探索、商品開発、技術習得できるということである。「出島」であるから本社経営から大きな期待をされることもなく、黒字であれば干渉されることが少なく廃業させられるリスクも低い。

二つ目は、未知の分野の顧客価値を察知したら計画も行動も素早く変更する、所謂「アジリティ」の意識を皆が共有出来たということである。何が売れるのか分からないのだから、とりあえず買ってくれるものを開発提供して反応を見ながら次に展開するのである。計画なんて有って無いようなもの、お客様次第、顧客価値を探しながらの自在の方向転換であった。

三つ目は、既知の領域、得意の技術に固執せず、未知のものに恐れず挑戦したことである。ロボット事業スタートの発端は2輪車エンジン製造の自動化であり、その延長は様々な機械部品の自動化であったが、機械部品というのは各社バラバラであるから自動化も専用システムとなる。その一方当時我々にとって電気製品、特に電子部品は正に未知の世界であったが、恐れずに顧客の要望に応じて開発してみると機械部品にはない発見があった。それは電子部品が機械部品と違って標準化されており、どのお客様も同じ規格の部品を使っているので自動化システムも汎用的に標準化できるという大きなメリットがあった。プリント基板実装機が主力製品として拡販されるようになった源流がここにある。

※アイパルスはIM事業部の「出島」であった。

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