14 アメリカの感性を刺激にヤマハらしさを磨く
北米レジャーシーンから生まれた多様性豊かなファンビークル。
スノーモビル、トレールバイク、ATV/ROV、そしてウォータービークルやジェットボート。北米のレジャーシーンから発想を見出し、その大地や水辺で鍛えられたヤマハファンビークルは数多い。
トレールバイクのヒットモデル「DT-1」(1968年)は、まさにアメリカの遊びの文化とヤマハのものづくりの文化が融合したモデル。
当時、全米のオフロード車販売が年間4,000台という規模の中、単独モデルで1万2,000台を完売し、その人気は日本や欧州にも広がっていった。アメリカの大地が育む突き抜けた遊び心。
それが多様性豊かなヤマハらしさの一翼を担っていった。
参照:Times of Yamaha
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トレールバイク「DT-1」の単独年間売り上げ台数は?
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商品創造にはENCOUTERが大事
PF車両開発統括部OV開発部 鈴木 孝典さん
ENCOUNTER(出会い、遭遇)が大事と思う理由は、RHINO(商品)とそれに纏わる人、評価する場所との出会い、遭遇から来ています。
RHINOでROV(RECREATIONAL OFF-HIGHWAY VEHICLE)の市場は覚醒しました。2000年当時、ROVの用途は作業目的が中心でしたが、RHINOは運転も楽しい商品として開発され、現在では市場規模を当時と比べて約20倍に拡大させています。
当時を思い出すエピソードを一つ紹介します。LSV(LOW SPEED VEHICLE)の市場も視野に入れたROVの商品として、カリスマ的ボス、ケーシー吉田さん(YMMC社長)の強力なリーダーシップの下で開発をスタートしましたが、開発中に商品性向上の為、最高速を上げた商品にしたいとの意見がでました。しかしながら商品の方向性を変える事は難しく仕様変更となりませんでした。
ある時、実際の評価場所で私の当時の上司白石さんに「ATVと同様な商品にするためには必要だ」と直訴し、白石さんから吉田さんにも仕様変更について直談判してもらえることとなりました。
当時白石さんと吉田さんとは強固な師弟関係にありました。白石さんからは冗談ぽく「逆らった事は一度もないが、みんなが言っている事(スピードアップ)は理解したので話をする」と言い、相当な議論(怒り含め)の末、吉田さんの説得に成功、ついに開発担当全員の思う方向性で開発できる事になりました。
翌日のプレゼでは、会議冒頭に判定者吉田さんが「俺がいると変更しにくいから参加しない、白石へ任せた」と言って部屋から出ていかれました。その後白石さんが仕様の変更を説明し、吉田さんが欠席された状況も理解した出席者全員が吉田さんの懐の深さに感動し、一同白石さんに拍手/握手をもとめました。今でもその場の光景を思い出すとその感動の高揚を感じます。その後は白石さんの下で思っていた方向に向けて開発を継続していきました。
こういった意味ある情熱が積み重なった商品がRHINOです。私はその経験から自分とあうPDCAで、PL業務を20年近く展開し続けています。
P:PASSION, D:DESIRE, C:CREATE, A:ACTION。時代を変革するような商品創造をしていくためには、意味ある情熱の上でENCOUTERがとても大事だと思います。特に若い方々はいろいろな商品、人、場所に出会って今後革新的な商品を創造していただきたいと思います。
仁
DT-1は今でも最高のバイクだと思っています。欲しかった16の夏が蘇ります。