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Heritage ヤマハブランドの伝統

10「トヨタ2000GT」の試作から生産へ

欧米スポーツカーからのインスパイア。スポーツカーへの夢

ヤマハ技術研究所が開発したスポーツカーの試作車
「トヨタ2000GT」
磐田新工場での「トヨタ2000GT」組立作業

ヤマハ技術研究所のメンバーによる欧米のスポーツカー工場視察を機に、高性能スポーツカーの研究開発がスタートした。
その背景には、大衆車の量産には大きな設備投資が必要だが、趣味性の高いスポーツカーであれば事業化も可能だろうという考えがあった。
スポーツカー専門の研究室を秘密裏に設置し、やがて1953cc・DOHCエンジンを搭載したオリジナルの試作車を開発。
事業化は断念することになったが、その技術はトヨタ自動車工業(現・トヨタ自動車株式会社)との技術提携により、「トヨタ2000GT」の試作・生産につながっていった。

参照:Times of Yamaha

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2000GT開発:日本にない世界レベルの本格的スポーツカーを作る

モビリティ技術本部 AM開発統括部長 小松 賢二さん

1959年11月、ヤマハ技術研究所に本格的な高性能スポーツカーの研究開発を目的とした安川研究室が誕生した。ヤマハ発動機がまだ2サイクルのオートバイしか生産していなかった時代である。

「ヤマハのスポーツカー」は研究室発足から一年で完成。最初のテスト走行は、開通前の国道1号線で実施。見事、最高時速144キロメートルをマークした。

当時の川上社長はトヨタ自動車との業務提携をまとめ上げ、「トヨタ2000GT」の開発が始まった。基本コンセプトは、「日本にない世界レベルの本格的スポーツカーを作る事」であった。

トヨタ2000GTはレースを通して完成度を向上。最終的に高速耐久トライアルで、世界記録3つと国際記録13個を達成。その間に映画007のボンドカーとして登場している。

これらの実績を経て1967年5月にトヨタ2000GT発売。(店頭販売価格237万3千円)3年後の1970年10月に生産中止となるまで337台を世に送り出した。

この様な先輩たちの果敢なチャレンジから芽を出し成長してきた高性能エンジン技術により、トヨタやフォード等の数多くのスポーツカーやF1にもヤマハのエンジンは搭載されてきた。今後は先輩方の遺産に我々の新たなチャレンジを積み上げる事で更にこの事業を成長させて行きたい。

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