01発祥の地
革新とスピンアウト。ものづくりの技術と文化が堆積する土壌。
ヤマハブランド発祥の地、静岡県西部地域一帯は、さまざまな産業の集積地として孤高の歴史を歩みながら、独自性の高いものづくりの文化を育んできた。
この地域では、古くから綿花栽培が盛んに行われてきた。やがて、その特産品を用いて繊維産業が興り、隣接する地域では自動織機が生み出された。さらに自動織機の開発・製造過程で機械加工技術が集積され、その技術はやがて自動車製造へとつながってゆく。
一方、北部の山間部には天竜杉と呼ばれる美林が広がり、林業とともに製材・加工技術が発展した。加工のための木工機械の進化は、楽器産業の勃興を後押しし、楽器製造の過程で金属加工技術も培われていった。
穏やかな気候がもたらす自然の恵みを受け、特産品を栽培し、加工を施す。また、加工のために必要となる技術や道具までをも地域内で生み出してゆき、それらを転用して新たな産業を創出する。革新とスピンアウトを繰り返す独自のものづくり文化。その原動力には、この地域で育まれてきた伝統的な気風、「やってやろうじゃないか!」の意味を持つ《やらまいか精神》があった。
参照:地域史関連資料
Heritageクイズ
静岡県西部地域で古くから発展してきた産業は?
私のHeritage
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県外出身者
YAMAHAというブランドはよく知っていましたが、本社がどこなのか等興味がありませんでした。磐田市も全く知らず、場所も知りませんでした。初めて磐田に行った時、茶畑に驚きました。こういうところでバイクを作っているんだなとちょっと不思議な気持ちになったのを思い出しました。
川東のおじさん
天竜川流域で育ちました。子供のころは近隣に大小製材所が多数ありました。最近はめっきり少なくなりましたね。製材の木の香りを懐かしく思います。
taro
小さい頃、近所に織物の工場がいくつもあったことを思いだしました。
内職でやっていたのかなと思います。
今は全くみかけなくなりました。
1982年入社
入社した頃は、生産工場で増益増産に追われ夕方頂いたパンをかじりながら頑張ったもの。翌年にはライバルメーカと戦いになり、方向性のみ直しが掛かり親しかった友人らが半減した。やがて実験部に配属し大型バイクをテストコースで走らせているうち、本場で使われる実際の場所って何処だ?と疑問がわいた。ドイツ、イタリアでは速度無制限の高速道路や一般人が容易に入場できるサーキットも走った。状況をフィードバックするため本社に持ち帰った。速度が高くなると風防や、ブレーキ性能、熱害機能がいかに大切か、手さぐりで試した実験はやがてデータの蓄積となり判断の目安が生まれ今のモデルに踏襲され更なる挑戦にやらまいかと挑む。
土佐
私は、昭和60年にこの地へ根を下ろした、土佐の生まれです。
ある、古い食堂屋のおじさんが、昭和30年前後には、この地に、30~35社のバイクメーカーがあり、そのころのお話しを、良くしてくれました。
やらまいか風土も、そのころ知ることになったのです。
私のHeritageは、まさに、その複数のバイクメーカーが原点であり、様々な方々が築きあげたブランドの中にいる事が、嬉しく、幸せと感じております。
YS
綿花の栽培が盛んだった背景は天竜川の氾濫を抑えるために、堤防が必要だったこと。堤防を作るためには綿花の栽培が適していた。
天竜川があったお陰で上流から木を運びやすかったこともこの地域で木材加工業が繁栄した理由。
小島睦人
遠州地方、愛知県三河地方は、モノ作りが盛んです。そんな周りの環境で育ちました。何事もやらまいか。
YA-1
新入社員当時、現場研修でお世話になった職長さん。その後も仕事でお付き合いが続きました。ある時、昔話をしていると「俺たちは日本楽器入社だったから、発動機へ転籍って言われた時は左遷されたと思ったんだよ。家帰っても、なかなか親に伝えられなくてなー。」って教えてくれたことが急に蘇りました。職長、元気にしてるかなー?
やっちゃん
入社する前に抱いていたイメージは、静岡を代表する企業で浜名湖と富士山の近くにある会社。だから入社後に習った社歌に「輝く富士の峰より高く」という歌詞にプチ感動!住んでみて一年中天気が良いことを実感し、アソビの文化・モノ創りが盛んなことに納得したものです。
motsu
「やらまいか」という言葉は遠州弁の中でも一番好きな言葉です。
ヤマハ発動機の中にもチャレンジ精神という言葉がありますが、やらまいか精神が起源だと勝手に解釈してます。
私の座右の銘は「やるか?やらまいか?挑戦あるのみ!」です。
社長のコメントにもありますが、私は、失敗を恐れず何にでも挑戦させてくれる社風と風土、が大好きです。
ゆみこ
56歳です。
私は夏休みの自由研究は綿花の成長記録でした。
画用紙に種、双葉、本葉、花、実、実がはじけた綿を画用紙に貼って提出しました。
今はもう見ませんが、近隣の綿の畑は少し小高くなっていたことを覚えています。
「ガチャマン」、「コールテン」いまはもう聞かない単語です。
織機の音も聞かなくなりました。。(家内?)工場建屋はまだ残っていますね。
母も女工の経験者で、昔話で自動織機で糸が切れて苦労した話を聞きました。
全て外国産になってしまったのでしょうか。