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Yamaha Journey Vol.17

ヤマハ スーパーテネレに乗るフレデリックとアルドによる、フランスからオーストラリアまでのツーリング体験談です。

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世界の果てまで

フレデリック&アルド

スーパーテネレ

#03 東南アジア・オーストラリア編:
ゴールデン・トライアングル、インドネシア諸島、
そして、オーストラリアへ。一大アドベンチャーが遂に完結。

タイ ー オーストラリア

フレデリックとアルドがバイクに乗って地球を走破する一大アドベンチャー。フランスのパリからオーストラリアのシドニーまで、その距離なんと3万キロ。ふたりの壮大な旅もいよいよ最終章。バイクの楽園マレーシアでの思いがけない体験や、インドネシアの神秘的な大地を経て、最終目的地のシドニーを目指します。

メコン川岸での1枚。川の全長はタイとラオスの国境線の2倍。

タイ、メコン川

多様な文化が混ざり合うジョージタウン。
インド、中国、マレーシアからの影響が建物から食べ物まであらゆるものに及んでいる。

マレーシア、ペナン島

山肌に建てられた伝統的な建物。

インドネシア、バリ

オーストラリア内地を走り抜ける広大な道路。

オーストラリア、ノーザンテリトリー

ゴールデン・トライアングル

穏やかなひとときを過ごしたタオ島の海を北上し、目指すは緑の生い茂る山岳地帯ゴールデン・トライアングル。かつてアヘン取引の中心地だったこの場所は、タイ、ラオス、そして、非常に情報統制の厳しい国ミャンマーとの国境に位置しています。今日は2015年の8月。ヤマハの「スーパーテネレ」に乗った私の後ろを車で追走するのはアルドと3人の子供たち(16歳のアーサーと、14歳のカッサンドルとイロナ)です。バナナ栽培地の中を道が大きく曲がりくねります。くぼみのできた路面を走破し、メコン川流域に到着したところで休憩を取ることにしました。この場所は、チベット高原から、世界有数の豊かな生態系を持つメコン盆地のさらに先まで続く巨大な肥沃地帯です。映画「ジュラシックパーク」に出てきそうなジャングルからは新種の生物が絶えず発見され、メコン川には5mの長さにまで成長する巨大な淡水エイなど、太古の生物が生息しています。のどかな集落を走っていると、現地の人が旅行者である私たちを暖かく迎えてくれました。こうした僻地にまで旅してくる人は珍しいようです。
8世紀前に作られた宝石の街チェンライで一夜を過ごしてリフレッシュしたあとは、2週間をかけて南のマレーシアを目指します。途中で数日間立ち寄ったバンコクで子供たちを空港に送り届けました。子供たちの飛行機が飛び立ったあと、空席となった後部座席にフレデリックを乗せて南下を続けます。マレーシアの国境に到着すると、スカーフを身に着けた税関職員が笑顔で出迎えてくれました。その笑顔は再びイスラム教の国へやってきたことに気付かせてくれます。

マレーシア:ライダー同士の友情

ライダーにとってマレーシアは楽園のような国です。マレーシアの西側に位置するペナン島へ向かっている途中、高速道路にはバイク専用車線が用意されていました。バイクであれば、アスファルトできれいに舗装された高速道路を無料で利用できます。さらに、公共事業として屋根付きのバイク駐輪場まで設置されていました。他の国とは違い、マレーシアでは大きなバイクが崇拝されています。デュアルスポーツや、見慣れないデザインのレースタイプ、珍しいビンテージバイクなど、どこを見渡しても大型車に乗っている人ばかり。
丸一日走行した後、アジアで最も長い14kmの橋を渡って到着した場所がペナン島です。州都のジョージタウンは、18世紀の植民地時代の交易都市が当時のまま時代に取り残されたような街でした。ユネスコの世界遺産に登録されている中心街を散策すると、装飾を施した外壁や、ルーバーシャッター、テラコッタタイル、花崗岩の縁取りなど、特徴的な家屋が立ち並び、色鮮やかなストリートアートを見かけることもできます。インド人街もあり、スパイスの効いたおいしいカレーを食べることができました。

ペナン島へ滞在中に出会ったのがインド人ライダーのアトゥールです。手入れされたひげをたくわえたアトゥールは旅が大好きで、ロイヤルエンフィールドの350ccのバイクに乗ってオーストラリアへ向かっているところでした。給料のいい通信系会社を辞めて、バイクで世界を旅することにした理由を理解してくれる友人はいなかったそうですが、アトゥールの満面の笑みと眼前に伸びる道路を愛してやまない気持ちからは十分にその理由が伝わってきます。彼の話では、東南アジア諸国連合(ASEAN)の代表者たちとのミーティングに合わせて、マレーシア・スーパーバイカー協会(SAM)がクアラルンプールでライダーたちの大きな集会を行うそうです。その話のとおり、クアラルンプールに向かうと11,400人ものバイカーたちが集っていました。ビンテージバイクに乗る、長いひげを生やしたインドのシク教徒たち。サイドカー付きのバイクに乗るカップル。集団走行してきたレースタイプのバイクにまたがり、身なりを整えるスタイリッシュな若者。私たちがこれまでに見てきた中で最大級のライダー集会です。

ペナン島に戻る途中、アトゥールはバリまで私たちに同行すると言ってくれました。次の目的地はインドネシアのスマトラ島です。ペナン島からそれほど離れてはいないものの、マラッカ海峡を越えた場所にあるので、スマトラ島までバイクを送らないといけません。ところが、航路について調べていると、フェリーが出ていませんでした。格安航空会社と競合してしまった影響のようです。その話を聞いたアトゥールは、なんとバイククラブの男性をホテルで紹介してくれました。ライダー仲間の好意に助けられたことは他にもあります。実はこのとき、21,000kmを延々と走ってきた「スーパーテネレ」のリアタイヤが摩耗していたのですが、それに気付いた私たちと一緒にバイククラブの男性はディーラーを探してくれたのです。おかげで、手頃な価格でタイヤを手に入れることができました。そして彼は、たまねぎなどの野菜を毎週スマトラ島に運んでいる古い木製貨物船の操縦士リムさんを紹介してくれました。バイクの運送代について話がまとまった翌日、船着き場に停めた「スーパーテネレ」が貨物網で持ち上げられて、古びたボートの貨物室に運ばれました。途中でバイクが網から落ちてしまわないかと不安でした。その後、お世話になったお礼としてバイククラブの男性に夕食をごちそうすることにしました。「なんてことないよ。ライダーはみんな家族みたいなものだからさ。お互いに助け合わないとね」とは彼の言葉です。

島々の豊かな大地

インドネシアまでの飛行機代はたったの20ユーロ。降り立った街メダンがあるスマトラ島は、17,000の島々からなるインドネシア諸島のひとつ。すべての島々を合わせるとその面積は200万㎢におよびます。バイクで走りやすいマレーシアのきれいな高速道路とはうってかわって、インドネシアの道路にはいくつもくぼみやひび割れができていました。しかも島と島を結ぶフェリーの整備も行き届いていません。そんな状況に落胆した気持ちを和らげてくれたのは、行く先々で出会ったインドネシアの人たちの気品と優しさ、そして、とびきりのユーモアでした。軽く食事をしようと最初に立ち寄った場所で、さっそくインドネシアのユーモアを体験しました。ひとりの男性が近づいてきて「スーパーテネレ」と壊れたスクーターを交換しないかと尋ねてきたのです。これには笑ってしまいました。誰もが「スーパーテネレ」を見て驚いていました。この国では大型バイクは珍しいようです。
別の場所では、バルコニーに立っていた女性に自宅へ招待されることがありました。インドネシアの常識ではあり得ないような冒険談を話すフレデリックに彼女は興味津々です。「スーパーテネレ」の周りで彼女の家族全員と写真撮影後、そのまま泊まっていかないかと尋ねられました。彼女の心遣いはとてもありがたかったのですが、私たちはお礼だけ伝えて先を急ぐことにしました。
しばらく走行したあとに立ち寄った場所で分かったのですが、スマトラ島のジャングルにはオランウータンが生息していました。そこで私たちはふたりの若いガイドにお願いしてオランウータンを見に行くことに。川沿いのホテルで部屋をとったあと、吊り橋を渡って森の奥深くに向かいます。この数か月間はずっとバイクの上で過ごしていたので、長い距離を歩くのは久しぶりでした。しかも、高気温・高湿度の中、ぬかるんだ道を進んだり、ごつごつした岩をよじ登ったりしたので、もうへとへとです。オランウータンを見るのは無理だと諦めていました。ところがなんと、茂みの影からこちらを見つめるオランウータンを遂に見つけたのです。人間に似た何とも興味深い顔をしています。私たちが興奮していると、ガイドの人からじっとしているように言われました。しかし、その数分後、オランウータンはジャングルへと消えていってしまいました。

それから約24時間後、私たちは小さなボートでトバ湖を渡っていました。サモシールという小さな火山島で一夜を過ごすことにしたのです。地元の人たちは三日月形の特徴的な屋根を持つ高床の建物に住んでいました。
ジャングルから帰還した私たちは「スーパーテネレ」に乗って南の高地へと向かいます。車の混み合う狭い道をすり抜けていたときのことです。島の東海岸で大規模な森林火災が起きていて、熱を帯びた粒子が上空をまばゆく白色に染め上げていました。それから3~4日をかけて港に到着したあとは「スーパーテネレ」をフェリーに乗せてジャワ島へ。首都ジャカルタのあるジャワ島は、人口密度が高く、交通量もとても多い場所。人口の少ないスマトラ島のジャングルとは正反対です。私たちは1週間をかけて島を横断してバリに向かうフェリーに乗りこみました。バリ島に着いたのはフレデリックの誕生日、10月2日でした。それからほどなくして、一緒に旅を共にしてきたアトゥールがひとりでオーストラリアへ向かうことに。
一方の私たちは家を借りることにしました。その数日後には、4人の子供たちや友達が私たちのところへフランスからやってきてくれました。さらに嬉しかったのが、隣に浮かぶロンボク島です。銀色に輝く砂浜と常夏の海が広がる光景は思わず息をのむ美しさです。滞在中は毎日、楽園のような時間を過ごしました。一日中サーフィンをしたあとは、地元の市場で買ってきたとれたての魚とお米で晩御飯。地元のビールで料理を流し込みます。1か月半後、島を離れるときがやってきました。そう、この旅の最終目的地オーストラリアに向かいます。最初に目指すのは、ティモール海を越えて南東へ1000km進んだオーストラリア内地。砂漠の猛烈な暑さが待ち受けます。

オーストラリア、そして、完結へ。

バイクと一緒に飛行機でダーウィンへ移動し、シドニーへ向けて4000kmの旅が始まります。駆け抜けるのは、赤褐色のオーストラリア内地に広がる灼熱の荒野。ロードトレイン(オーストラリア特有の長大なトレーラー車)や、3~4台のコンテナをつなげたトラックを追い抜きながら、「スーパーテネレ」は順調に長距離走行を続けます。カウボーイハットと黒いメガネを身に着けて埃まみれの4WD車を運転する男性を見かけたときには、アメリカの西部開拓時代をオーストラリアで味わっているような感覚になりました。道中は星空の下でキャンプをすることもあれば、道路沿いの小さな宿に泊まって暖かなもてなしを受けることもありました。
途中、迂回してブリスベン経由で向かったゴールドコーストでは、内地のカウボーイに代わって、ひげをたくわえたスタイリッシュな男性たちがボードショーツをおしゃれに着こなしていました。珊瑚海から流れてくる潮風は、内地の乾いた熱気を味わった体にはたまらない極上の心地よさです。ゴールドコーストでは長居はせず、シドニーへ向けて出発。いよいよ最後の1000kmです。今となっては「スーパーテネレ」は大親友のような存在です。アドリア海の険しい海岸線から、中央アジアの砂漠や雪を頂くヒマラヤ山脈、さらに、スマトラ島のジャングルやオーストラリアの砂漠を経て、私たちをここまで連れてきてくれました。その距離は実に30,000kmです。そんな過酷な旅にもかかわらず、「スーパーテネレ」の動作は6か月前にパリを出発したときと全く変わらずスムーズです。
2015年11月、後部座席で私の腰を握りしめるフレデリックと一緒に最終目的地のシドニーへ到着しました。どうやら、以前よりも私を握りしめる場所が少なくなっていたようです。過酷な旅を経て、体重が5~10kgも減っていました。シドニーのオペラハウスの向かいにバイクを停めた私たちは完走を祝して満面の笑みで記念撮影をしました。
そして、ホテルに到着後は帰り支度です。そう、ついにフランスへ戻るときがやってきました。子供たちといつもの生活が待っています。旅の間はずっと、世界の果てまでたどり着くことを望み続けてきましたが、実際に達成してみると、そこにいたのは、思っていたより遠くなかったと感じている自分たちでした。そしてその瞬間、私は涙を流さずにはいられませんでした。私は気付いたのです。本当に望んでいたのは終わることのない旅だったのだと。


フレデリック&アルド

夫婦でタッグを組むユニークなチーム。アルドが文章、フレデリックが写真をそれぞれ担当し、バイクツーリングでの冒険旅行記を共同で発信している。人々との新しい出会いを何よりも楽しみながら、“オーストラリア遍歴”では20カ国、延べ3万キロを走破。初めての本格的アドベンチャー旅行を無事に終え、現在は南アメリカ大陸横断ツーリング旅行を計画中。

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