
YA-1史譚 【第1話】
炎熱前夜
~ヤマハブランド発祥の地。
その風土と気風~
市中の噂というのは、いつの世も無責任なものである。そしてその噂話が珍妙であればあるほど、驚くようなスピードで人々の間にひろがってゆく。
「おい、聞いたか? 日本楽器がポンポン始めるらしいぞ」「へええ。まったく物好きなもんだねえ」「じゃあ、お上品にド・レ・ミ・ファ…とでも鳴るんじゃねえかい?」
1954年。浜松の町は、まだ戦後の爪痕を色濃く残していた。「千円バラック」と呼ばれた戦災復興のための簡易住宅がいたるところに残り、人々は窓のない列車の貨車や荷台にぎゅうぎゅう詰め込まれて通勤していた。ポンポンとは、小型のオートバイのことを指すこの地方の言葉である。決して快適とは言えないその朝の列車の中で、人々はこの町を代表する会社、日本楽器製造(現・ヤマハ株式会社)の噂話を口にしていた。 「YA-1」の誕生前夜――。ものづくりで復興を目指すエネルギッシュな地方都市の姿がそこにはあった。
ヤマハブランド発祥の地、静岡県西部地域一帯は、さまざまな産業の集積地として孤高の歴史を歩み、一風変わったものづくりの文化を育んできた土地柄である。
古くから綿花栽培が盛んだったこの地域では、やがてその特産品を用いて繊維産業が興り、隣接する地域で革新的な自動織機が発明された。さらに自動織機の開発・製造の過程で機械加工技術が集積され、その技術はやがて自動車産業へとつながってゆく。
一方、北部の山間部には天竜杉と呼ばれる美林がひろがり、林業とともに製材・加工技術も発展した。木工のための機械の進化は楽器産業の勃興を後押しし、楽器製造の過程で金属加工技術も育まれていった。
穏やかな気候がもたらす自然の恵みを受け、特産品を栽培し、加工を施す。また、加工のために必要となる技術や道具までをも地域内で生み出してゆき、それらを転用して新たな産業を創出する。発明。革新。そしてスピンアウトを繰り返す地域文化。その原動力には、この地方で育まれた伝統的な気風=「やってやろうじゃないか!」の意味を持つ《やらまいか精神》があった。
日本楽器の片隅で秘密裏にオートバイの開発が始まったその頃、列島は高度成長への第一歩を踏み出し始めた。ものづくりによる立国を目指して、日本の各地で新たな産業へのエネルギーが渦巻いていた。
楽器メーカーが未経験のオートバイづくりに取り組むにあたり、まずは専門家の意見を拝聴しようと東京から高名な工学博士を招いた。博士はその計画や設備をつぶさに確認した上で、「(最初の製品を生み出すまでに)2年はかかるだろう」と試算してみせた。しかし、「慎重とは急ぐことなり」と川上源一社長自ら陣頭で指揮を揮い、その助言からおよそ半年後に「YA-1」の発売に漕ぎつけている。
「YA-1」が手本としたのは、西独DKW社製の「RT125」だった。日本に輸入されたこの車両はたった5台であったが、そのうちの1台を近隣町の開業医が所有していたことはヤマハにとってじつに幸運だった。地方の小さな町で、往診のために診察道具を積んで走り回る瀟洒な外国車が目立たぬはずはない。やがて「日本楽器がポンポンをつくる。先生のと同じやつだ」という噂が医師の耳に届き、「本家(DKW)を超えるものをつくってほしい」と大切にしてきた愛車が提供された。
試作工場から立ち上る熱気。もちろんそれが気候に影響を与えたわけではないだろう。しかし1954年の夏、浜松は記録的な猛暑となった。


ヤマハ発動機の第1号製品。ダーク系のカラーリングと重厚なデザインが一般的だった時代に、マルーンカラーのスリムな車体と軽快な走りで「赤トンボ」と呼ばれ親しまれた。1955年7月の第3回富士登山レースや同年11月の第1回浅間火山レースでは上位を独占し、二輪車メーカーとしては後発のヤマハ発動機製品の性能と品質を大いにアピールした。
「YA-1」が手本としたのは西独DKW社の名車「RT125」。2ストロークエンジンに定評のある同社は、戦前から二輪車や乗用車を手掛ける自動車メーカーだった。敗戦後、ライセンスフリーとなった「RT125」は世界で最も多く参考車両にされたと二輪車と言われている。「YA-1」は、その名車をベースにしながら、楽器メーカーらしい洗練されたデザインと随所に技術的な新機軸を加え、3年間で約11,000台を世に送り出した。


- 全長×全幅×全高:1,980mm×660mm×925mm
- 車両重量:94kg
- エンジン型式:空冷2ストローク単気筒
- 排気量:123cm³
- 最高出力:4.1kW(5.6PS)/ 5,000r/min
- 最大トルク:9.4N・m(0.96kgf・m)/ 3,300r/min
- 販売価格:¥138,000(当時)


伝統と革新が息づく組織文化を愛し、確かな技術を伝承し続けているヤマハ発動機の製造・生産現場。
その匠たちが、1954年8月22日に引かれた図面とヤマハ発動機の企業ミュージアムに収蔵されているパーツを元に復刻します。


(ヤマハ発動機磐田南工場/2021年11月)

YA-1チューニングフォークオーナメント
受注期間:
2021年12月1日~2022年1月31日
先着123個限定価格(YA-1の排気量にちなみ)
15,400円(税込)
※以降は22,000円(税込)
- [サイズ]
- 96㎜ x 36mm x 12mm(ねじ部を除く)
- [材 質]
- 真鍮
- [生 産]
- ヤマハ発動機クラフトマンによるハンドメイド・日本製
- [月 産]
- 50個
- [お届け]
- 3月以降完成次第、オーダー順に送付
*生産の都合により発送が遅れる場合がございます。