通称:246(ニーヨンロク)
人々が心に抱くモノ:246という言葉に人は“都会”を思い描く。憧れの対象となるモノに溢れ、洗練された華やかな空間が存在し、才能と知性が織りなす美と技と創作に彩られた街が246には連なっているがゆえに。ジャンルを問わず、さまざまな世界のトップブランドのショールームが並び、そうならんと夢を描くブランドを惹きつける“磁力”が246にはある。
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そうした“都会の磁力”に魅せられ、手繰り寄せられて、人々は思い思いの時を過ごす。また、彼らが愛車を走らせる246は、年代・国・カテゴリーを問わず、さまざまなスタイルを感じさせてくれる“名車”が行き交う道でもある。夜が深まるとともに、眩い輝きを放つ高級車、誰もが振り向くエキゾーストノートとともに走り去るスポーツカーに限らず、オーナーのこだわり・スタイルを感じさせるバイクやクルマが現れる。
クルマやバイクを愛する人たちにとっても、246は心に憧れや夢(ときに妄想)を抱かせる符号になっている。
概要:東京の最も都心、旧江戸城内堀に面して走る環状1号線。その西側部分「内堀通り」にある三宅坂交差点から「赤坂見附」「青山」「表参道」「渋谷」を経て、遠く富士山麓に至る約130kmの幹線道路。つづきを読む
起点の三宅坂から渋谷までの区間は「青山通り」、渋谷から先の「三軒茶屋(通称:サンチャ)」を経て「二子玉川(通称:ニコタマ)」にかけては「玉川通り」とも呼ばれる。玉川通りのほとんどは日本の東西を結ぶ大動脈・東名高速へと連なる首都高3号線が頭上を走る。
一説には「日本でバイクが最も行き交う道」ともいわれ、日本のライディングシーンを語るに欠かすことのできない道である。
歴史:東京が江戸と呼ばれた時代には『矢倉沢往還』と呼ばれ、当時すでに世界有数のメガシティとなっていた江戸に静岡のお茶や相模川の鮎といった各地の産物を運ぶ、重要な商業ルートであった。また、富士山と同じく、古くから“御嶽”として信仰を集めた大山参りの道としても多くの人々が往来し、『大山街道』としても知られた。つづきを読む
現代の246沿いにある街の多くは、当時から宿場や中継点として栄え、ひと・もの・金・情報が集まり、ゆえに文化が生まれ、この道は長きにわたって人々の生活を彩ってきた。
国道とされたのは1956(昭和31)年7月と決して早くはなかったが、前回の東京オリンピック(1964年)を機に変貌を遂げ、この道はさらに輝きを放つ時を迎えた。