本文へ進みます
サイト内検索

模索期 1982年~1987年

2002年 企画展 Vol. 5

2002 企画展 Vol.5
パリ・ダカールへの挑戦  ~ 20年間の軌跡展 ~

模索期 1982年~1987年
パリの街をビッグタンクのパリ・ダカレプリカモデルが颯爽と駆けぬけた時代。
ヨーロッパにおける関心の高まり、世界的なメディアの注目の中でパリ・ダカールラリーの知名度は急速に高まっていった。
フランスのヤマハインポーター・ソノート社(現ヤマハモーターフランス)をはじめイタリアチーム、スペインチームなどの活動の活発化にあわせて日本でも市販車先行開発グループが活動を開始。
ヒュ-マシン(人機一体)技術の探求は、ライダーの"不安と自信の間(はざま)"を、確実にステップアップさせ始めた。

1985年 XT600 Tenere(OU26)
ゼッケン80は、ジャン・クロード・オリビエ選手(現ヤマハモーターフランス社長)が駆って2位となったマシン。排気量は660cc。開発はヤマハ市販車先行開発グループによるもので、51リットル容量の燃料タンクは、ライディング・ポジションや重量バランスを考慮してメインと左右両サイドの3箇所に分割されている。こうしたヒューマシン技術によって、ホールドしやすくニュートラルなハンドリングのマシンに仕上がっている。

● Engine type: Air-cooled 4-stroke OHC single-cylinder 660cc
● Fueltank capacity:51L(main39L+rear12L)
●Weight: 146kg

83年の「XT600改」は、設計から試作手配、一部組み立てまで、前年の5月から10月まで没頭して取組みました。フレームは剛性と信頼性を主眼に"設計初心者"の私がゼロから設計し、エンジンは前年モデルの設計流用。エアクリーナーは、アフリカの砂漠の砂にあわせて紙フィルターでなければ、という情報を得ていたので協力会社に図面を持込み突貫で作りました。何か自分の証を残したいと思い、ギアの側面に電気ペンでイニシャルを書込んだのが思い出に残っています。
(市販車開発部門 実験担当 根岸広介)


1986年 XT600 Tenere(OU26)
85年J・C・オリビエ選手が2位入賞を果たした「XT600」をさらに改良した86年モデル。エンジンはトルクと走行スピードを向上させ最高速で10km/hアップしている。サスペンションも86年のモトクロッサーと同型のものを採用。燃料タンクは2ピース式。この年は、オリビエ選手が「FZ750T」を駆って出場し話題を集めたが、結果的にはこの「XT600改」が、T・シャルボニエ選手の4位を筆頭に上位となった。

● Engine type:Air-cooled 4-stroke OHC single-cylinder 665cc
● Fueltank capacity:52L (main33L+ rear19L)
●Weight:146kg

パリ・ダカマシンの必要条件というか、ヤマハなりのパリ・ダカマシンのあり方というのは86年頃にはできあがり、創意工夫の伝承も行われてきた。85年モデルからエンジンガードがスタンドになるようにしたり、サイドスタンドを両側につけたり、86~87年はサイドスタンドがツールボックスにもなっている。ヘッドランプも遠くが見えやすいように2灯式の1灯を水平に、もう1灯は下向きにセットしたり、テールランプを救急品の収納ボックスに使っている。また86年からはカウルを装備しているが、これもタンクカバーを兼ねたコンパクトな一体型で、運搬や交換が楽なように分割式にしてある。オフロードモデルのカウルやブッシュガードなどもみなパリ・ダカマシンから生まれたものだ。
(元開発21課、研究2課 渡辺昌衛)


1986年 FZ750 Tenere(OU26)
ライバルとの絶対的な最高速の差に苦闘していたJ・C・オリビエ選手は、1986年、750cc、水冷並列4気筒、DOHC 5バルブに6速ミッションというロードスポーツ「FZ750」のパワーユニットを搭載したプロトタイプを持込んで周囲を驚かせた。しかしこの果敢なチャレンジも197kgの重量とトラクション不足からそのポテンシャルを発揮するには至らず12位に終わった。ホンダワークスNXRがデビューした年。盟主ティエリー・サビーヌがレース中のヘリコプター事故で世を去り、完走率も15%という最悪のパリ・ダカであった。

● Engine type:Liquid-cooled 4-stroke DOHC 5-valve 4-cylinder 749.6cc
● Fueltank capacity:62L (main37L+rear25L)
●Weight:197kg

テストのために来日したセルジ・バクー選手と潮見坂などで一緒に走行テストを行いました。テストはもっぱら「FZ750T」に集中していて、たしかに速いけれど砂漠での操安性は? 多少疑問も感じたりしました。このことが契機となって自分でもパリ・ダカールラリーというものを深く知りたくなり、イタリア・ベルガルダチームのメカニックとして参加できることになったのです。レース前の準備からゴールまで、この時のベルガルダでの体験は、今でも自分にとって貴重なもので、その後の仕事の上でも大いに生きていると思っています。
(市販車開発部門 実験担当 斉藤 稔)


1987年 YZE920 Tenere

ラリーのハイスピード化が定着する中で、前年750ccロードスポーツ「FZ750」のパワーユニットを搭載したプロトタイプを持込んで周囲を驚かせたJ・C・オリビエ選手は、87年さらに排気量を912ccにアップして4気筒モデルでの挑戦をつづけた。2年目のこのモデルは、排気量を増やしながらも最高出力は押さえ、低速性能の充実をはかって安定性を向上させているが、乾燥重量197kgの車体は、大きなハンデとなってしまった。オリビエ選手とともにこのマシンで出場したS・バクー選手が7位となった。

● Engine type:Liquid-cooled 4-stroke DOHC 5-valve 4-cylinder 912cc
● Fueltank capacity:62L(main37L+rear25L)
●Weight: 197kg

パリ・ダカールラリーというレースは、1台だけで速く走ることはできない、グループで走るレース。皆コースミスが怖いのでモト(二輪)、オート(四輪)、カミオン(トラック)がグループになって走る。それだけにレース時間の差だけでライダーの差、マシンの差を判断することはできないレースなんです。
また、速く走れるだけでは勝てないレースで、いかにマシンを壊さずにキャンプまで戻るかといった冷静さも求められる。途中でトラブルにあっても自分で直せるというのも大事なこと。ピコ選手のようにセットアップまで自分でしてしまうライダーもいました。
(MS開発部 高野和久)

ページ
先頭へ