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FZ750 開発者インタビュー

展示コレクションの関連情報

課題はありあまるパフォーマンスを扱いやすく仕上げること

PROFILE

中山善晴氏
(なかやま・よしはる)
エンジン設計担当
寺井和夫氏
(てらい・かずお)
試作車の車体設計チーフ
鈴木純一氏
(すずき・じゅんいち)
エンジン実験担当
吉田順一氏
(よしだ・じゅんいち)
走行実験チーフ

中山:エンジン設計者としては、やりがいのある仕事でしたよ、FZ750は。とっかかりがレーサーのエンジン開発ですからね。レギュレーションにさえ合っていれば、あとは好き放題にやれた。最終的に目的が市販車のエンジンに変わったので、生産性などにも考慮しなければならなかったけれど、楽しんでやれました。

寺井:車体設計は、市販化のことを知らされてなかったと思うんですよねぇ(笑)。エンジンはエンジン、車体は車体で進めてましたから。ずっとレーサーだと思っていて、何でもアリ、とにかく性能を突き詰めることしか考えてなかった。開発当初は00Mというコードネームで、アルミフレーム、アルミタンクが当然、という勢いでした。

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中山:それは基本的に、エンジン設計も同じですよ。乾式クラッチにドライサンプは当たり前という調子で、レースに勝つことしか考えてなかった。その後のFZR750RとかYZF-R7みたいな、ホモロゲーションモデルを想定してましたから。

寺井:確かに"レースに勝つため"っていうと、気持ちが駆り立てられますよね(笑)。当時、和歌山利宏さん(現・ジャーナリスト)がXJ750ベースの手作りマシンで8耐に出てたんですよ。彼のライディングテクニックで、雨には強かったけど、ドライコンディションじゃ置いて行かれる。それを見ていて、とにかくドライでもブンブン走って勝てるバイクを作りたいと、そう思ったんです。


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中山:あの頃、ヤマハ発動機としては経営的にけっこう厳しい時期で、「社内の士気を高めたい」という社長の意気込みも大きかった。

鈴木:そんな背景が影響したのか、FZ750のエンジンは開発初期段階から十分すぎるほどパワーが出てましたよね。市販車向けにデチューンするのが大変なくらい……。

中山:エンジンの素性がいいから、なかなか性能が落ちないんだ(笑)。そもそもデチューンなんてやったことなかったし。

鈴木:しかも、性能カーブはスムーズにしないといけない。ちょっとでもトルクに谷があると、すぐ走行実験に怒られる。

吉田:まぁ、我々も基本的にはうるさいですから(笑)。

鈴木:特に吸排気系はシビアに突き詰めていったので、エンジン設計とずいぶんもめた覚えがあります。トルクは早いうちから13kgf・mは出てたんですけど…。

中山:トップギア、20km/hからでも加速していくんだよね。

鈴木:そのトルクを落とさずに、パワーだけ落とすっていうのが難しくてね。

中山:市販車はどんな使われ方にも対応できなくちゃいけないし、信頼性も高くしておきたいですからね。性能オンリーのレーサーの開発とは、そこが大きく違う。

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寺井:車体設計も大変でしたよ。走行実験は「500ccのハンドリングに、750ccの安定性を持たせたい」という。軽快にコーナーに進入できて、なおかつどっしりとしたスタビリティがある、矛盾した要素を求められた。

吉田:すいませんでした(笑)。でも、FZ750の場合は最初から世界のマーケットをターゲットにしていたから、アウトバーンのような高速道路や、アメリカの峠のようにRが大きいコーナー、それに日本の小さいRのコーナーまで、あらゆる状況を想定する必要があったんです。

寺井:それでも、スタビリティは最初から高かったんですよ。初めてプロトタイプに乗った時から非常に印象がよくて、「ポテンシャルは高そうだぞ」とワクワクしたなぁ。

吉田:その先をどう作り込んでいくか、がけっこう大きな課題でした。フレームは強度テストを経て、日々変わっていく。耐久性も高めなくちゃいけない。そうすると、フレームの剛性バランスが崩れてしまう…。ただ、フレームもエンジンと同様に素性がよかったから、あるレベルまで到達するのにそれほど苦労はしなかったですけどね。


斬新で高性能、長く愛されるモデルに
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FZ750イメージスケッチ

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FZ750モックアップモデル

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生産ラインオフの様子

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1986年デイトナ200マイルを制したエディ・ローソン選手

寺井:苦労したといえば、デザインですよ。何しろシリンダーが45度も傾いてるおかげで、フレームより前方に飛び出しちゃってるんだから(笑)。

中山:そんなバイク、なかったからね。

吉田:みんなで「いい」「悪い」って言い合って……。僕はどう見てもヘンだと思ってました(笑)。

寺井:フレームの色を変えることで、何とか折り合いをつけたんだけど、ヘッドライト形状ももめたね。十分な光量を確保しつつ、できるだけにコンパクトにしたかった。

吉田:これもみんなで「好き」だの「嫌い」だのってね(笑)。とにかくメカニズムもデザインも斬新だったから、意見が割れるのはしょうがない。でも一方では、「レースで勝ちゃいいんだろ?」って気概もありましたよ。

寺井:燃料タンクは、生産技術のスタッフを泣かせたなぁ。できるだけ重心を低くしてマスを集中させたかったし、エアクリーナー容量も確保したかったから、まったく他にない複雑な形状になってました。外から見てもわかりにくい部分だけどね。

中山:生産に泣いてもらったって意味では、エンジンもそう。組み立ての時、タペットクリアランスを調整するために、カムシャフトを外さなければいけなかった。工場には本当に苦労をかけました。だからこそ、デビューしてから雑誌インプレッションで高く評価された時は、うれしかったなぁ。

寺井:ある専門誌の編集長が、「画期的な操縦安定性だ」って絶賛してくれた。

吉田:ただ全体的には、比較的静かに受け入れられていったって感じ。

中山:当時はレーサーレプリカが大ブームだったから、ちょっと印象が地味だったかな。

吉田:僕はポルトガルで行われた欧州向けの試乗会に行ったんでが、みんなすごくいい評価をしてくれた。

中山:乗った人には、良さが分かってもらえるバイクなんだよね。

吉田:僕は試乗者の意見聴取とトラブルが発生した時のクレームに備えて行ってたんですが、結局何も起こらないからヒマでね(笑)。おいしい食事を食べるだけの毎日だった覚えがあります。

中山:ヤマハ発動機としても、並列4気筒・チェーン駆動のエンジンを得て、ようやくレースの土俵に乗った。互角の勝負ができるようになった。そういう意味で、すごく大きな意味を持つ1台でしたね。

寺井:実はその割に、FZ750のレースリザルトってあんまり知らないんだよね(笑)。

中山:(平選手とK・ロバーツ選手が組んだ)8耐はかなり盛り上がったけど……。

寺井:開発者は、1台完成したらすぐ次のモデルに取りかかるからね。でも、今も多くの方に愛されてるっていうのは、すごくうれしいことです。

※このページのプロフィール、および記事内容は、2005年3月の取材によるものです。
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