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Yamaha Journey Vol.25

ヤマハ ニュースメイトT90Nに妻を乗せて走る高田典男による、11回に渡る南米ツーリング体験記です。

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憧れの南米大陸を、心ゆくまで味わい尽くす。

高田典男

NEWSMATE T90N

#02 歴史の息吹を感じる旅。
ペルー

1950年代、20代だった高田典男さんにとって南米への旅は、まさに見果てぬ夢でした。それから40年の月日が流れ、かつての青年は当時の情熱をそのままに南米大陸縦断の旅に挑みます。それも11回にも亘って。奥様とのタンデムツーリングで積み重ねた走行距離は11万211キロ。地球を二周して余りある距離です。彼をそこまで引きつける南米の魅力とは何なのか。第2章の舞台は、歴史のロマンに彩られた国、ペルー。古代から続く人々の営みをたどりながら、荒野を駆け抜けます。

標高3980m。広大な荒野や、深い渓谷の山岳地帯を何時間も走り、前方の視界にきれいな湖が現れるとほっとする。あたりは人の気配の全くない静寂の世界。思わず立ち止まり、湖面まで降りていって水を口に含んでみたくなる。

ケロコチャ湖

地上絵は大きいもので長さ300m、総数は700以上もあるという。古代ナスカ人は何を思い、何を願って線を描いたんだろうか?その線に重なる近代の轍は、私の胸中を複雑なものにした。

ナスカの地上絵

今から約500年前、インカ帝国は敢え無く滅びてしまった。この祭典は当時を再興したものだが、この荘厳な祭典を目の当たりにすると、如何にインカ帝国が栄華を極めていたかがよくわかる。

インティライミ(太陽の祭典)、 サクサイワマン遺跡

街の至る所で、カミソリ1枚入らないといわれる精巧な石造建造物をみる事ができる。「鉄や車輪を持たなかったインカの人たちがどうやって作ったんだろう?きっと彼らは独自の素晴らしい技術を持っていたのに違いない!」と思うとインカ文明に益々、興味が沸いてくる。

クスコ市街

見果てぬ荒野に挑む。

ペルーの海岸沿いを南北に伸びるパンアメリカンハイウェイは、旅人にとっては試練の道です。待ち受けているのは見渡す限りの乾いた荒野。行けども行けども、目に映るのは砂と岩だけ。まるで月面のようなグレーの世界です。もしかすると、この風景はこの世の果てまで続いているのではないか──。思わず弱気になった次の瞬間、はるか彼方に緑の影がのぞきます。アンデスの谷間から注ぐ川の流れに沿って生い茂った草木です。グレーの大地と瑞々しいグリーンが織りなす鮮烈なコントラストは、言葉を失うほどの美しさ。荒野に点在するこうした緑地帯は貴重な休憩地点で、旅人にとっては文字通りオアシスです。ここでしばし身体を癒したら、再び荒野へと向かいます。なぜそこまでして、決して楽ではない道に挑むのか。それはペルー各地に刻まれた歴史に触れるためにほかなりません。

悲哀の歴史が刻まれた街で。

荒野の旅、最初の目的地はカハマルカです。この街には、インカ帝国の皇帝アタワルパが、スペインの侵略者フランシスコ・ピサロに幽閉されていた石造りの部屋が残されています。ピサロはアタワルパに「この部屋いっぱいの金を用意すれば、命は助けてやる」と持ちかけました。その言葉を信じて帝国全土から金を集めたアタワルパですが、結局は約束を反故にされて非業の死を迎えます。彼の死は、インカ帝国の実質的な滅亡を意味しました。アタワルパがたどった悲しい運命に、私もしばし思いを馳せます。
カハマルカを後にしてパンアメリカンハイウェイを1200キロほど南下すると、大きな石があたり一面に転がった河原のような地帯に出くわします。注意して見ると、規則的に石が取り除かれて道のようになっていることに気づくはずです。この道をつなぐと浮かび上がってくるのが、かの有名な「ナスカの地上絵」です。ここには、かつて地上絵の研究に人生を捧げたマリア・ライヘ氏が設置した展望台が今も残されていて、地上からでも「木」や「手」などの地上絵を一望できます。地上絵はインカ帝国以前にこの地に暮らした人々が描いたものですが、一体何を思ってこんなにも壮大なアートワークを創り上げたのか。古くから多くの人々を虜にしてきた謎を前に思わず考え込んでしまいました。
ナスカでは紀元前に造られた古代の水路も目にしました。この水路は、驚くべきことに今でも現役で、ナスカの街に数十キロも離れた谷から水を引いています。水路のほとんどが地下を走っているのは、砂漠の直射日光で貴重な水が蒸発するのを防ぐためですが、この大胆なアイデアとそれを形にする技術力の高さには脱帽です。

リスペクトせずにはいられない、インカ帝国の技術力。

ナスカを抜けると、長かった荒野の旅もそろそろ終着点。ここからは、アンデスに向かって山道を駆け上がります。ペルーでは山岳地帯に入っても、見かけるのはポツポツと生えた背の低い草くらいで、赤茶けた山肌がむき出しなっています。同じアンデスでも、緑に包まれたコロンビアの山とはまったく異なる顔つきです。けれども、こういった痩せた土地にも根を張るように暮らしている人々がいるのだから、人間というものは実に逞しい。質素な造りの家々の軒先には、昔ながらの服装をしたお年寄りがちょこんと腰掛けています。荒涼とした山のなかで感じるちょっとした生活の匂いが、たまらなく愛しく思える瞬間です。思わずバイクを停めて、その光景に見入ってしまいました。

小さな村をいくつか通り過ぎると、インカ帝国の首都であったクスコに到着。ここは遺跡の宝庫です。世界遺産にもなったマチュピチュをはじめとして、オリャンタイタンボ、ピサック、ピキジャクタといった遺跡が驚くほどたくさん残されています。なかでも私の一押しは、フチュイ・クスコという遺跡。交通の便が悪く、観光ツアーにも含まれていないおかげで、マチュピチュのように観光客でごった返してはいません。インカ帝国の人びとの営みを想像しながら、のんびりするには最適な遺跡です。
一方、迫力で選ぶならクスコ郊外の標高3600メートルほどの場所にあるサクサイワマン遺跡です。ここで目に飛び込んでくるのは巨大な石垣。ひとつ数十トンもあろうかという巨石が、剃刀の刃一枚通す隙もなく綺麗に積み上げられています。重機もない時代に、人よりもはるかに大きな石をどうやって運んだのでしょう。私もかつてはエンジニアだったので、ナスカやサクサイワマン遺跡のような古代文明の高度な技術を目にすると、リスペクトの念が心の底から込み上げてきます。

私の旅は、ペルーの人々の優しさとともにある。

インカ帝国の滅亡以来、500年に渡って他国に虐げられてきた歴史のせいなのか、痩せこけた風土のせいなのか、それともモンゴロイドという人種のせいなのか、ペルーの人々はとてもシャイで人見知りです。そういう意味では、日本人と似ているかもしれません。けれども、一度仲間として受け入れた相手にはとことん深い愛情を示すのが彼らの流儀です。
私自身、クスコでバイクショップを営むペルー人家族との交流が続いています。4度目の南米旅行からは、彼らのお店で買ったバイクが私の相棒でした。彼らはバイクを売ってくれただけでなく、帰国時にはバイクを預かってもくれます。だから彼らと知り合ってからは、いつもペルーが旅の出発点であり終着点。長い旅を終えて帰ってきた私たち夫婦を「あなたは家族も同然だ。次に南米を旅するときのために、バイクは私たちがきちんと保管しておくよ」と迎え入れてくれます。私が11回にも渡って南米を走れたのも、ひとえに彼らの優しさがあったからこそ。心から感謝しています。


高田典男/和子

1938年 静岡県浜松市生まれ。
20代の頃より、音楽を通じて南米大陸に憧れを抱く。定年退職後の2000年、ロサンゼルスからサンパウロまでの42,000キロを582日間かけてバイクで縦断。その後も2017年までに、11回に渡って南米大陸をバイクで旅する。旅の累計日数は1,894日、総走行距離は11万211キロに及ぶ。

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