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Yamaha Journey Vol.19

ヤマハ XTZ125に乗る日本人男性ライダー、堀 むあんのミャンマーのツーリング体験談です。

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まだ見ぬ景色を求めて

堀 むあん

XTZ125

#02 ミャンマー編:
人々の温もり 出会いがつむぐ至福のとき

ロイコー - コータウン - パアン

謎のベールに包まれた国ミャンマーを日本人ライダーの堀むあん(無庵)が縦横無尽に疾走する。第2章では、多民族国家ミャンマーに残る手つかずの自然を巡ります。偶然の出会いから、旅は思わぬ展開へ・・・。

カヤー州の州都ロイコーで行われた幻想的なパレード

カヤー州

片側10車線もある首都ネピドーの道路

ネピドー

托鉢する僧侶たちの像の間から顔を出すお茶目な子供の僧

ムドン

ミャンマー最南端の街コータウン

コータウン

ミャンマーの夜空に広がる星々のパノラマ

11月下旬、タウンジーの南に位置するインレー湖を経由し、カヤー州の州都ロイコーに到着。州都と言ってもバイクならすぐに一周できてしまうほどの規模で、街の中心を流れる川に沿って緑と家屋が入り乱れている。ミャンマーでは日本語が人気で、都市部に限らず日本語学校に通っている人が多い。チェックインしたホテルでフロントスタッフから「日本語を話せる人がいるよ」と言われて紹介してくれた女の子も日本語学校に通っていた。流暢に日本語を話すその子にガイドしてもらえたおかげで首長族の村へたどり着くことができた。夜になるとロイコーでお祭りのパレードがあるらしく、その子も民族衣装を着て参加するのだという。地区の集会所のようなところに向かってみると、近所の子供や若い女性たちが集まって衣装の準備をしている。あたりが暗くなると、色とりどりの華やかな民族衣装を身に着けた人たちが通りで列を作り始めた。両手で包み込んだ造花の中にろうそくの火を灯し、近くのお寺へゆっくりと向かっていく。暗闇の中からほんのりと浮かび上がる灯りがゆらゆらと移ろう。民族衣装の色彩がほのかに照らし出される美しく繊細な光景に見とれずにはいられない。

まぼろしのような一夜を過ごしたロイコーをあとにし、200km西に位置する首都ネピドーへと向かう。深い山の中を100kmに渡って走行するルートだ。何度もカーブが続き、路面は1車線分しか舗装されていないため、対向車とすれ違うたびに路肩へ追いやられることになる。しかも山中の標高差が激しく、道が縦横に大きくうねる。しかし、こうしたタフな環境こそ、小回りの利くXTZ125のすばらしさを再認識できる瞬間だ。危なげなく走行を続け、高度が増していくに従い、視界が広くなり、雄大な景色が姿を現し始める。山々の頂が延々と連なり、白雲と青空の澄み渡ったコントラストが木々の緑を引き立てる。山の麓に見える湖は箱根の芦ノ湖を思わせる。遂に山を越えた頃にはあたりが薄暗くなりかけていた。「ネピドーまであと少しだ」と思いながら上を見上げた瞬間、息をのんだ。きらめく砂粒のようにばらまかれた星々が満天の夜空に広がっていたのだ。今にも降り注いできそうな星空の下、バイクのエンジン音が大自然に響き渡る。見えるもの、聞こえるもの、草木の澄んだ空気の匂い。感覚が研ぎ澄まされたかのように世界をよりクリアに引き立てる。しばらくして建物が視界に飛び込んできた。ネピドーに到着だ。一夜が明け、街の中心を走ってみて驚いた。国会議事堂の前の通りは、なんと片側10車線もある広大な道路だったのだ。軍事政権時代にいちから作られた都市というだけあって、これまでの道中とは比べ物にならないほど路面状況が良好だった。

思いがけないおもてなし

ここからミャンマー南部へ向けて一気に南下する。のどかな田園風景が続く中、いきなり水牛や豚といった家畜が道に飛び出してくることがあった。行程が長いと気付かされるのは、XTZ125の燃費の良さだ。燃料タンクの容量は10リットル。一度、給油すれば、数百キロはガス欠の心配がない。ミャンマーにはガソリンスタンドが存在しないが、ガソリンの入った黄色と赤色の2種類のペットボトルをジュースのように売っている屋台が、人の住んでいるところには必ずある。値段の高い赤色が日本のレギュラーと同じクオリティにあたる。屋台と言えば食事だ。ミャンマーにはいたるところに屋台がある。農業従事者の多い国なので、農作業の休憩時に立ち寄るお茶や食事の場所として屋台が欠かせないのだ。モヒンガという麺を使った料理や、油にスパイスで味を付けて具材と一緒に料理したミャンマーカレーが定番メニューとなっている。

ミャンマー南部の入り口に位置するカイン州の州都パアンは、周囲を奇岩に囲まれた風光明媚な街だ。郊外にある洞窟寺院を訪ねた後、バイクで郊外を走っていると、道端の小さな商店からカレン族の色鮮やかな民族衣装を着た女性が出てきた。「ダッポンヤイ(写真を撮っていい?)」と片言のミャンマー語でお願いしたところ、彼女は快く承諾してくれただけでなく、「私の村では村人全員が民族衣装を着ているから付いてきなさい」と親切にも案内してくれた。森の中を通り抜けていくと、木々が途切れたところにぽっかりと大きな空間が出現した。その中央には今まで見たことがないような巨大な集会所があり、周囲に竹でできた高床式の小さな家屋が並んでいる。原始的でありながら、どこか神秘的な雰囲気を携えた場所だ。同じ柄の民族衣装を着た村の女性たちと、上半身裸の強面の男性たちが笑顔で突然の訪問を迎え入れてくれた。「ちょうど昼食の時間だから、一緒に食べませんか」と誘われ、一緒に食卓を囲むことに。この集落では住民全員がひとつの家族として毎日一緒に食事をとるそうだ。現代社会から無くなりつつある共同体の在り方がここでは成立していた。異国の来訪者でさえ手厚くもてなしてくれる。ミャンマーカレーを食べる前にお皿を額の前に捧げ、お祈りをする。村人は昔から伝承されてきたアニミズムを信じ、昔ながらの生活をしているそうだ。すっかりお世話になった帰り際、住民の1人が「あなたは私たち家族の一員です。いつでも遊びに来てください」と言葉をかけてくれた。胸の奥底から熱い思いがこみ上げてくる。体の中心から末端へとじわりと暖かくなる。ツーリング中の偶然の出会いからこのような暖かい体験をするとは思いもしなかった。「チェーズーティンバーデー!(ありがとう!)」。後ろ髪を引かれる思いで次の目的地へと向かった。

圧巻の巨大仏

パアンからモン州へ向けてさらに南下を続ける。あたり一面に畑の広がる平野を走り抜けると大きな河川にぶつかる。夕暮れ時には昼間の熱気が落ち着き始め、西の方角から風が吹き抜ける。清涼な空気がスッと鼻腔をくすぐる。「潮の香りだ」。州都のモーラミャインはチベット高原を源流とするタンルウィン川の河口に位置し、街には潮風がやってくる。ここから先は1000kmを超える一本道だ。モーラミャインの南に位置するムドンには、全長183メートルの世界最大の寝釈迦仏があり、信仰心にあつい仏教徒たちが絶えず参拝にやってくる。寝釈迦仏の枕にしている部分だけで10階建てビル並みの高さを誇る。圧巻のスケールだ。しかし、驚くのはこれだけではなかった。さらに南へ向かうと、左手に高さ54メートルの大仏が突如出現。その先のイエという街には、巨大な四面仏があるなど、モン州を走っていると次々と巨大仏が登場する。付近の住人いわく「仏様はより高いところから世界を見渡しているので、巨大仏が信仰されるのです」とのこと。「こうも数が多いと大仏とはいえ、ありがたみがなくなるのでは?」などと不遜な考えを抱いていては旅の途中で罰が当たると思い、にわかに手を合わせた。

南下の旅は続く。「本当に目的地に近づいているのかな・・・」。延々と続く丘陵地帯を長時間走行していると、距離と時間の感覚が麻痺してくる。モン州を抜け、タニンダーリ管区に突入。この管区の中心都市ダウエイの郊外に巨大な経済特別区域の開発が計画されている。現地に行ってみると、舗装のされていない赤土の道が荒野を切り裂くようにタイ国境へと延びていた。一方、巨大な港の建設予定地になっている場所を訪れてみると、美しい浜が見渡す限り続いていた。ミャンマーには泳ぐ習慣がないらしく、こうした美しい海岸があるにもかかわらず、あたりは閑散としていた。「なんともったいない!」と、早速海に入り、浜辺を独り占めして楽しんだ。

最南端の地を踏破・新年の祝祭

いよいよミャンマー最南端の街、コータウンを目指す。引き続き一本道の旅だ。この道は数年前までちゃんとした舗装のされていない悪路で、ガイドブックには陸路での移動を控えるように記されていた。道中で聞いた情報では、コータウンまでバイクでは行けないということだったので、行けるところまで行って引き返そうと考えていた。しかし高度成長期に突入したミャンマーでは、交通インフラの整備の重要性から全土で主要道路の舗装工事が続けられており、コータウンへと至る道も整備されたばかりだった。食用油を採取されるパームヤシが200kmに渡って道の両側に高々と生い茂る。交通量が少なく、快適なライディングで南国情緒あふれる辺境の地を駆け抜けた。12月18日、コータウンにあるミャンマー最南端の地、ビクトリアポイント(バイナウンポイント)に立つ。対岸に隣国のタイを臨みながら、感慨に浸る。やはりライダーは最果ての地が好きなのだ。

コータウンで数日を過ごしたあと、一路パアンまで引き返す。パアンで行われる新年の祝いを目にしたかったからだ。ミャンマーでは部族によって新年を祝う時期が異なり、パアンに住むカレン族の場合は12月28日だ。民族衣装を着た人たちが街中に集まってお祝いをしている。仏教国のイメージがあるミャンマーだが、キリスト教徒も少なくなく、民族衣装を着たカレン族の人たちが教会へお祈りにいくという、文化と宗教がミックスされた独特の光景を目にすることができる。参加者は設置されたステージでカレン族の踊りを舞いながら一夜を過ごす。こうした新年の祝いが集落や部族ごとに行われるというから驚きだ。その多様性を体現するかのように色とりどりの民族衣装を身にまとった人々がスクーターに乗って会場に続々と集ってくる。文明、文化、宗教、そして熱気と興奮が入り乱れた新年の祝祭は、まさに多民族国家ミャンマーを象徴していた。行く先々で異なる光景を明らかにする神秘の国ミャンマー。さあ、次はいよいよ西部の山岳地帯へと向かう。まだ見ぬ景色を求めて新年も走り抜ける。


堀 むあん(無庵)

30年以上にわたりアジアを撮影してきた写真家。学生時代から国内をバイクで撮影旅行してきたが、アジア各国でもこのスタイルでツーリングを楽しもうと計画。1か国目にミャンマーを選び、全管区全州を7か月間にわたり走破した。

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