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Yamaha Journey Vol.14

ヤマハXT225に乗る英国人女性ライダー、ロイス・プライスのコロンビアからアルゼンチンまでのツーリング体験談です。

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二輪で駆け巡る世界、繋がる人の絆

ロイス・プライス

TTR250

#03 イラン:東洋と西洋の狭間で
ラーズィー ー シーラーズ

2003年には、英国ロンドンでのメディア業界の仕事を離れ、相棒のヤマハXT225と共にアラスカからアルゼンチンまで、延べ2万マイルに及ぶ旅を見事に成し遂げたロイス・プライス。その後アフリカ大陸を縦断して南アフリカのケープタウンまで走破し、着実に経験を積み重ねた彼女を待ち受けるのは、それまでのライダー人生で最も魅惑的で価値ある体験となる、3000マイルのイラン国内放浪旅です。2013年、TTR250に跨り、山頂の冠雪が輝くアルボルズ山脈から、遥々狂騒の街々を越え、悠久の伝統が息づく歴史的集落が今も遺る、静寂に包まれた南部の砂漠地帯へ。道中出会うイランの人々は皆暖かくフレンドリーで、どんな旅人でも分け隔てなく、とことん気さくに良く接してくれる。バイク一人旅で辿り着いた先は、魅力溢れるこの国が誇る、愛嬌一杯の人々のもてなしの精神、まさにそのものと呼べるかも知れません。

イラン西部にあるザグロス山脈を走れば、ふと目に入る家畜を放牧中の羊飼い。何世紀も変わることのない遊牧民が営む風景に心踊ります。日没と共に、峡谷に広げたテントで身体を休め、夜明けと共にこだまする羊の鳴き声と、その首から下げた鈴の音で目を覚まします。彼らに誘い寄せられ、広漠とした丘陵地帯を思いのままに散歩してみる。

チェルガード、ザグロス山脈、イラン

とある砂漠の町にある小さな八百屋。威勢の良い店主が一推しするのは、イランの伝統料理”ゴルメサブズイ”と呼ばれる野菜たっぷりのシチューを作るための食材です。調理に必要なハーブやスパイスは、その多くが見たことも聞いたこともないものばかり。しかし一度口にすれば、香り高い風味が広がる。私の新たな味覚を呼び覚ます、驚きのイラン料理。

メイボッド、イラン

砂漠の古代都市ヤズドで、私に声を掛けてきた一人の老紳士。「この国はどうだい?」イランのどこへ行っても尋ねられる、お馴染みの質問で会話は始まります。束の間の旅人とのやりとりを楽しみにしているようだ。「勿論、とても気に入ってるわ!」それに対する私も、いつも同じ返答の繰り返し。

アミール・チャグマグ、ヤズド、イラン

辺り一面は2,500年に渡る栄枯盛衰を見守り続けた廃墟。この様な宮殿を建造出来た当時の技巧や芸術性の高さを目にすると、謙虚な気持ちにならずにはいられない。支配者たちのこの地を巡る戦乱、反乱者の蜂起、革命、そして壊滅的な大地震の被害、何世紀もの歴史の重みが刻み込まれています。イランの国と人々が、逆境を物ともせず復興を成し遂げる逞しさに、思わず心動かされる私。

ペルセポリス、シーラーズ、イラン

前に進まなければ、幸運の道は開けない。

トルコから国境線を越えてイランに入国し、ラーズィーと呼ばれる街に辿り着いた時ですら、これから私の身に一体何が起きるのか想像だに出来ない。2013年当時、私を含め多くのイギリス人にとって、このイランという国は神秘のベールに包まれたまま。旅立つ前にロンドンで偶然出会った一人のイラン人男性が、新たな冒険へと準備万端な愛機TTR250が次に向かうべき行き先を私に決心させたのです。彼の生まれ故郷シーラーズを訪れ、イランの真の姿をこの目に焼き付ける。彼の言葉に惹かれ、不思議と好奇心をそそられたのは、バイクに跨ったヨーロッパ人女性ライダーが現地ではどのように受け入れられるのか、ということ。この魅惑的な挑戦は、見知らぬ土地を訪れ、そこに息付く人々の暮らしや文化に触れる、私が気に入っているバイク旅行の楽しみ方とピッタリ合致するものでした。期待を胸に、東のシーラーズ目指し出発。

入国審査カウンターの前に並んでいると、パスポートチェックを待っている私に対する視線を感じます。気付けばイラン人の老婆にじっと見つめられ、横にいる友人と何やら囁き合っている様子。丈の長い漆黒の民族衣装チャードルに髪まですっぽりと覆われた彼女たちは、私の行動をあまり快く思っていないかも知れない。「そこのあなた!」だんだん不安に駆られていた私の肩を、突如叩いて一人が口を開きます。「あなたバイクに乗ってるんでしょう?間違いないわね?」私は事実を認めて躊躇いながらも頷き、さらなる非難を受ける覚悟を決める。しかし意外にも皺だらけの顔を綻ばせ、彼女が見せたのは満面の笑顔。そのまま私の肩に腕を回すと、勢い良くエンジン音を口真似しながら、スロットルを握る仕草を見せます。興奮して「ブン、ブーン!」と叫び、波打つゆったりとした黒いドレスの下、勢いよくお尻を左右に振る姿は、まるで命知らずのスピード狂。「女性のバイク乗り、最高じゃない!堪らないわ!よく遥々イランまでいらっしゃったわね!」そして私の顔をしっかりと両手で引き寄せ、ずっと瞳を見つめたまま何やらペルシア語で話しかけてくるのです。「前に進まなければ、幸運の道は開けない。」彼女の友人が訳してくれたおかげで、私はようやく言葉の意味を理解します。イランに古くから伝わる素敵なことわざ。
イラン・イスラム共和国は、異邦人の私をこのように温かく迎え入れてくれた。その後、北西の山岳地帯に辿り着くと、思わず息を呑んだのは、古い歴史を誇る商業都市タブリーズ。その昔シルクロードの重要な貿易中継点として栄え、裏通りと中庭が入り組み連なる屋根付きの商業施設内は、まるで巨大な洞窟内部の迷宮のようです。頭上を覆うアーチ状の高天井の下、ペルシア絨毯の織工たちは床に座り込み、小さなグラスに注がれた甘くストレートなチャイで一服。13世紀以来の活況を呈したこの市場の喧騒を、私は大いに堪能しました。目の前には、何百年にも渡ってこの場所で繰り返される、変わらぬ光景。かつてアジアとヨーロッパを股にかけ、香辛料、絹布、翡翠、金銀を積んだラクダに跨る隊商が残した足跡の、まさにその上を私の轍がなぞっていく。そんな感覚にとらわれ、ハッと周りを見渡すと、この悠久の時を刻んだ陸路に遺された、確固たる歴史の痕跡。それらを実際に肌で感じると、私をこの地に運んで来たのはバイクではなく、まるで魔法の絨毯だったかのような気分に襲われました。

ボケット一杯に詰め込まれたザクロ

高速道路に乗って南へ颯爽と走りだす。にも関わらず、老若男女様々な人々が、行く先々でいちいち私を呼び止めるせいで、なかなか前に進めません。私に話し掛けてくる、この見ず知らずの土地の住人は、とにかくお喋りが大好き。彼らの庭先を駆け抜ける外国人ライダーを目にしただけで、もう興奮を隠せないのです。「どこから来たの?」「イランはどうだい?」投げ掛けられる、いつもの決まり文句。長距離輸送トラックが集まるサービスエリア、ガソリンスタンドなど至る所で、私を見つけた家族連れの人たちが手招きしています。ある時はテーブルを囲んで和気藹々と一緒に食事、またある時は道路脇の芝生の上でピクニック。ひっきりなしに盛り付けられた、ご飯、シチュー、フラットブレッド、白カビチーズでお腹を満たした後は、勿論小さなグラスに注がれた甘いストレートチャイで締めくくる。高速道路の料金所を通過する際には、収受員の若者が私のバイクに惚れ込み、通行料金の受け取りを断固拒否します。それどころか、彼のお手製の昼ご飯を私に持たせ、瑞々しい桃と艶やかな赤いザクロをこれでもかとポケットに押し込み、送り出してくれました。

首都テヘランと南部に広がる砂漠地帯への突入はもう目前。緩やかに弧を描くカスピ海の湾岸線に沿って進み、さらにその先、銀白の頂を冠するアルボルズ山脈を目指す。ヤシの木が連なる湾岸道路を航行している途中に建ち並ぶ、シャーがこの地を支配した帝政時代の名残を遺した荘厳な大邸宅群。私の頬を撫でていた暖かな南風は、いつしかカスピ海から遠ざかり山岳地帯の麓に差し掛かる頃には寒風へと変化します。一旦登り始めればあっという間に、天にも昇る心地を味わえる別世界。頭上に広がる真っ青な天空高くを鷲が旋回している。峰々の狭間をくぐり抜け、遥か彼方を見渡せば、岩塊と白雪が織りなす大海が一面に広がっています。その奥に威厳を備え鎮座するのは、中東最高峰ダマーヴァンド山。進む道はどんどん険しくなり、道路脇にまだ残雪が高く積もっている。そんな曲がりくねった山岳路を走るライダーは、周囲に私ただ一人。その姿はまるで大空を自由に滑空する鷲そのものでした。

自らの足で踏みしめる、世界の半分エスファハーン

いよいよ車が激しく行き交う首都テヘランの道路網に進入すると、私が前進するペースも胸の鼓動も、何速もギアが上がったかのように速く感じます。クラクションが鳴り響く人口800万の人の波に揉まれ、煩わしい交通渋滞を抜けた先にここでも待ち構えていたのは暖かい歓迎。心癒されるのは山々の大自然と何ら変わりません。テヘランから砂漠の一般道路を南下し辿り着く、煌々と輝く街エスファハーン。街路樹が並ぶ目抜き通り沿いを走り、複雑な幾何学模様のタイルで装飾された16世紀建造の壮麗な宮殿の横を通り過ぎて行く。そして午後の陽光を受け、眩い光を放つ黄金のドームを擁するモスク群を目にした時、初めてこの都市の繁栄を言い表したことわざの本当の意味を肌で感じました。「エスファハーンは世界の半分。」イスラム教寺院の塔、ミナレットとヤシの枝葉は歩道に優しく影を落とし、暖かな爽風が芳しい花の薫りをそっと運ぶ。市の中心街では、可愛らしいバイクに跨ったティーンエイジャーの若者たちから挨拶代わりにやんちゃな歓待を受けます。私の大きなバイクに目を輝かせる彼ら。護送船団のように私の進路に付いて来て、微笑んで手を振ってくる。大切な客人として自宅に招き、私と家族みんなでティータイムを満喫したいそうです。

しかし魅惑の荒野が私を待ち構えているので、名残惜しいエスファハーンにも長居は無用。ザグロス山脈目指して西へと舵を取り、イランの遊牧民たちの故郷へと向かう。もう何世紀もの長きに渡って遊牧生活を営み続ける彼らは、一年を通して移住を繰り返します。夏季になれば灼熱のイラン南部を離れ、家畜の為の牧草地と避暑を求めて冷涼な気候のザグロス山脈へ。この荒涼とした山岳地帯にあっても、峡谷や山襞にひっそりと佇む野営テントに、イラン最大の遊牧民バフティヤーリー族の生活の痕跡を見つけることが出来ます。道路脇に愛機を一時停車させ、エンジンを切ってみる。広大な青空に見下ろされた静寂の中、シートに跨ったまま彼方を見渡すと、果てない大地をゆっくりと横切って行く山羊の大群。太古から今も変わることのない風景です。彼ら遊牧民たちと同じように、バイクに跨る放浪者も常に留まることなく旅を続ける。山の向こうに夕陽が沈む頃、エンジンを再始動し、また次の場所へと向かいます。今晩の寝床をこの神聖な山々のどこかに求めて。

温かく旅人を迎える、見ず知らずの人々の優しさ

砂漠のオアシス都市ヤズドでは、古代から連綿と続くイランの伝統文化と、洗練された精巧な職人技を街の至るところで見つけることが出来る。1272年にこの地を遥々訪れたマルコ・ポーロは”格調高く気品に満ちた街”と形容し、その素晴らしさを褒め称えました。旧市街の路地裏、日干し煉瓦の丸屋根の家屋の中、花の香りが豊かで落ち着いた庭園。今でもその評価を裏切ることなく、ここの住民たちは至るところで出会うたび優しく丁寧に接してくれる。いよいよ旅の最終日、岩塊転がる山岳砂漠をすり抜け、雲一つない青空の下、目指すは最終地点のシーラーズ。ペルシア文学発祥の地にして、イラン人の心の故郷として知られる街です。ここで偶然出会ったのは、私をまるで娘のように可愛がってくれた、バイク好きなタクシー運転手のおじさん。イラン・イラク戦争の退役軍人である彼は、バイクに跨った外国人を見かけた途端、大興奮の様子で案内役を買って出ます。私を色んな場所へと連れ回し、挙句の果てには、自宅へ招いて家族に紹介。「一目そのバイクを見た瞬間から、あんたと話をしたくて仕方がなかったのさ。」そう切り出す彼は、旅人をもてなすことが如何にイランの文化にとって大切なことかを語り始めます。「この我々の土地を訪れる人がどこから来たかなんて関係ないんだ。イスラム教徒だろうとキリスト教徒だろうと、どんな信仰を持っていようが、お互いを尊重して助け合うのは当然のことだろ?」

この言葉が示すイランの寛容な国民性が、私の心に深く響き渡る。今回のツーリング中ずっと、私の胸に去来する一つの想い。この旅は世界を股にかけた私のツーリング人生の集大成になるでしょう。そう感じながらふと思い出される、何年も前にアルゼンチンを目指しアラスカから初めてバイクで旅立った日のこと。あの頃はまだ、仕事に追われる日々の束縛から逃げ出し、ただ単純に心ときめく非日常の冒険を楽しみたい一心でした。しかし、母国の慣れ親しんだ土地や文化から離れ、異国のイランに辿り着いた今、改めて気付く。私が探し求めて来た、かけがえのない旅の思い出に必要不可欠なものは、道中思いがけず出会う、その土地の人々の存在。そして彼らとの距離を本当の意味で縮め、土地の息吹に触れ、他の移動手段では気軽に辿り着けないような未知の場所の魅力に出会えるのは、バイクツーリングならではの醍醐味でしょう。この相棒が側に居てくれたおかげで、より楽しくなる冒険。異文化の人々とも簡単に仲良くなり、交流を通して自分自身を見つめ直すことに繋がった。旅の魅力を最大化してくれる乗り物に感謝です。
これまでの私のツーリング経験を通して、どこに行っても旅先で出会う人々は、初めて知り合ったにも関わらず、皆優しくて親切。人の繋がりの大切さを彼らから学びました。同じ人間である以上、分かり合えない筈はない。私が辿り着いた核心に最も近いのが、このイランの国と人々。そんな想いを胸に秘め、これから先も私はずっと旅を続けて行く。いつかまた旅の途中で出会う見知らぬ人々が、私と同じ境地になり、その気持ちが伝わり広まることを夢見ながら。


ロイス・プライス

ロイス・プライスは英国出身の紀行作家。過去には世界各地をバイクで巡った自身のツーリング体験を基に2冊の旅行記を上梓。2017年1月には、近年敢行したイラン国内ツーリングを題材とした3作目、「レボリューショナリー・ライド」を出版予定。

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