「怒濤の加速感」というDNA。

ヤマハ発動機を象徴するモデル。

マッスル感漂うフォルムに、ドラッグレースをイメージさせる太いリアタイヤ、そして群を抜く加速性能。1985年に誕生した初代VMAXは、既存のカテゴリーを超える独創的なモデルとして次第に世界中のライダーたちの支持を集めていく。もともとは北米市場をターゲットに開発されたモデルだったが、その個性的なスタイリングと加速感により、北米だけでなく、欧州・日本でも熱狂的なファンを得てロングセラーモデルとなった。
ライダーたちの間で伝説となり、ヤマハ発動機にとってはフラッグシップと位置づけられる存在となったVMAX。後継機種の開発が水面下でスタートしたのは、初代の誕生から約10年後、90年代半ばのことだった。「ヤマハの挑戦する姿勢や独創性を象徴するモデルとして、VMAXをなくすわけにはいかない」という強い思いが、商品企画部門にも開発陣にもあった。

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量産直前でプロジェクトを中止に。

新型VMAXの開発は難航を極めた。
初代の大きな特長である加速感を新しいモデルではどう表現するのか。新型VMAXでは「怒涛の加速感」を実現することが大きなテーマとなった。そのテーマを追求した結果、開発陣は2000ccもの巨大なエンジンを搭載した試作車を製作。この試作車をベースにした開発は量産開始の直前まで進んだ。
しかしプロジェクトは中止になる。エンジンが大きすぎて車体全体に最良のバランスを保てない、また、確かにパワーはあるがスムーズすぎて「怒涛の加速感」とはいえない、という理由からだった。 量産直前まで進んだプロジェクトを中止するのは異例のことだ。しかしVMAXはヤマハ発動機を象徴するモデルでなければならない。納得できるものを世に出したいという強い思いからの、苦渋の決断だった。

デザインと性能をどうマッチさせるか。

プロジェクトは一旦解体され、新たな体制で再スタートした。新体制においてPL(プロジェクトリーダー)を務めたのが桜田修司である。桜田はヤマハ発動機に入社以来、23年にわたってレース部門で開発を務めてきた。VMAXのプロジェクトリーダーに就任したのは、生産車開発部門に異動して一年余り経った頃だった。
桜田は「デザインと性能をどうマッチさせるか、という課題に大変苦労しました」と当時を振り返る。試作の段階で、デザインスケッチ、テスト車両ともに素晴らしいものがあがってきた。しかし、デザインとテスト車両をマッチさせようとするとうまくいかない。理想のデザインにすると、理想の走りが生まれないのだ。逆もまた然り。
「アメリカにわたって初代VMAXオーナーをまわり、取材したこともあります。どんな仕事をして、どんな遊びをして、どんなものを食べているかまで聞きました。お客さまを知ることで新しいVMAXのあり方が見えてくると考えたのです」(桜田)

「オリジナルである」という難しさ。

車体設計を担当した室尾振郎は、VMAXのデザインについてこう語る。
「VMAXのデザインは、エンジンとエアインテークとタイヤが主張する中で、個々のパーツが絶妙にバランスし、成立しています。そのため、一つのパーツを少しいじるだけでもデザインが破綻してしまうんです。そこにVMAXをデザインする難しさがあると思います」
エンジン設計を担当した中島彰利は、苦労した点をこう振り返る。
「苦労したのはVMAXがオリジナルであることですね。通常のモデルであれば競合車があるため、その競合車に対して開発中のモデルがどうあるべきかを考えることができます。しかしVMAXには比べるものがありません。唯一あるとすれば、初代VMAXですね。初代VMAXをいかに再定義するか、というのが新型VMAX開発のテーマでした」

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数値よりもライダーの体感を重視。

桜田の次にPLを担当した仲秋一は、ゴールイメージの共有化を意識したと語る。
「開発という行為は苦しく、日々の課題解決の中で、ともすれば自分がやっていることの目的を忘れたり、個別最適に陥ったりしがちです。そうならないためには、関係者がゴールのイメージを共有していることが非常に重要で、苦しいときこそ原点に戻り、ゴールイメージの共有化を何度も行いました」
開発陣は「怒涛の加速感」の実現に向け、一つの考えを共有した。それは数値よりも官能性を重視するという考えだ。絶対的なスピードやゼロヨンタイムを追うと、ユーザーの求めている感覚とかい離してしまう可能性がある。そのため、テストライダーが体感する加速感を基準にエンジン・車体の改良に取り組んだ。この考えはヤマハ発動機が打ち出している「人機官能」という概念にも相通じている。

エンジン設計を見直すべきか否か。

新型VMAXのエンジンは排気量1600ccで進められていた。試作とテストを繰り返し、エンジンの仕様を決定し、ついに量産直前までたどり着いた。しかしその時点で、またもや通常の開発案件では起こりえないことが起こる。テスト部門からエンジン設計の見直しを求める声が上がったのだ。
「当初の試作エンジンと比べて量産直前のエンジンは荒々しさが消えている、という意見が出たんです」(中島)
改良を重ねるうちに、量産直前のエンジンはいつの間にか角がとれて丸くなってしまっていたのだ。設計変更すべきか。しかし、量産直前になってエンジン設計を変更し、発売を延期するなどということは、通常であれば許されない。営業部門の販売計画にも影響が出る。
それでも「VMAXをつくる以上、中途半端なものは出せない」という気持ちが開発陣にあった。結論は、1600ccから1679ccへの排気量アップ。時間やコストが余分にかかっても最高のものをお客さまに届けたいという思いを開発陣は主張し、経営層もその判断を尊重した。

私たちの苦労は、お客さまの感動に直結する。

一切の妥協を廃し、十数年の歳月をかけて開発された新型VMAXは、日本時間の2008年6月5日、世界同時発表された。開発に関わったスタッフは今、それぞれ大きな手応えを感じている。
「開発陣は、初代VMAXから何を受け継ぎ、何を壊すのかを議論しながら開発に取り組んできました。VMAXオーナーズミーティングに参加してオーナーの皆さまと話していると、開発陣の思いが伝わっていることを実感できてとてもうれしかったですね。私たちがVMAXに込めた魂を感じてもらえていると思いました」(中島)
「VMAXの開発を通じて実感できたことは、困難に突き当たったとき、妥協せずに乗り越えれば、自分の成長につながるということです。今後もさまざまなモデルの開発において困難に直面するでしょう。しかし私たちの苦労は、お客さまの感動に直結します。VMAX開発は、課題に立ち向かう姿勢を確立することができた経験でした」(室尾)
「現在は商品企画部門でデザインを評価する業務を担当しています。私は最近、ヤマハらしいバイクを表すキーワードとは、イノベーティブ、エモーショナル、スポーティであって、この3つが社会とハーモニーを持つことだと考えています。VMAX開発においてPLを務めたことは、ヤマハらしさとは何かを深く考える上で貴重な経験となりました」(桜田)
新型VMAXの開発は、携わった人間の胸に感動や挑戦心を刻んだ。それはヤマハ発動機のDNAとなり、後輩たちへと受け継がれていくだろう。

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※この開発ストーリーは2011年にインタビューを行い、所属とコメントは当時のものとなります。

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