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JRR JSB1000シーズンレビュー

JRR JSB1000の2012年シーズンをご紹介します。

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中須賀3度目のJSB1000チャンピオン!
MotoGPバレンシアでも2位表彰台獲得

今シーズン、YAMAHA YSP Racing Teamの中須賀克行は、全日本JSB1000で7大会4勝、2位2回、3位1回のめざましい成績を記録。2008・2009年以来となる3度目のチャンピオンを獲得した。また全日本選手権以外では、鈴鹿8時間耐久とドイツのオーシャーズレーベン8時間耐久に出場したほか、自ら開発に携わるYZR-M1を駆り、MotoGPにもスポット参戦。バレンシアGPでみごと2位表彰台を獲得し、その名を世界に知らしめた。2012年、国内外で活躍した中須賀の足跡を振り返る。

新しいタイヤでマシンに力を与え、チーム全員でつかんだ3度目のタイトルを胸に抱く

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タイヤをブリヂストンにスイッチ
マシン熟成を図りながら前半2勝

 2012年、全日本ロードレースの最高峰クラスJSB1000に出場するYAMAHA YSP Racing Teamの中須賀克行は、例年にない期待と不安を抱き、開幕戦を迎えることになった。新たな可能性を求め、YZF-R1のタイヤをブリヂストンに変更したのだ。現代のレーシングマシンはタイヤメーカーを絞って開発が進められる場合が多いため、異なるメーカーのタイヤを装着しても、すぐに最高のポテンシャルを発揮できるわけではない。お互いの性能、特性をスリ合わせ、フィットさせる作業には多くの時間と手数が必要である。
 実際、ツインリンクもてぎの開幕戦を迎えた時点で、YZF-R1とニュータイヤとのマッチングは「まだ完ぺきじゃない。レースウイークでセットアップが進んだけれど、表彰台に立てればという状況」と、中須賀は苦戦を覚悟していた。ところが、レースがスタートすると、一時7秒近くあったトップ高橋巧(ホンダ)との差を少しずつ短縮。そして14周目、ついに高橋を捉えてレースをリードすると、自己ベストタイムを更新する勢いでスパート。後続を8秒以上引き離す独走でシーズン初優勝を果たした。
 それでも「マシンはまだ万全ではないので、開発の手を休めるわけにはいかない」と気持ちを引き締め直して迎えた第2戦の舞台は鈴鹿サーキット。2009年、東コースを使ったレースで優勝経験を持つ中須賀だが、フルコースでの優勝経験はなく、「リアタイヤは驚くほど性能がいいので、フロント回りをしっかりセットアップできれば…」と攻略に期待をにじませた。決勝は3番グリッドからのスタート。序盤から積極的に優勝争いを展開し、2秒足らずの差で2位に終わったが、その走りはマシンが着実に仕上がりつつあることを覗わせた。
 続く第3戦は、屈指のテクニカルコース筑波サーキット。その予選で、中須賀はただ一人55秒台となる55秒916をマークし、今季初のポールポジションを獲得する。「これまでで一番マシンの仕上がりがいい。ブリヂストンタイヤの特性を生かせるようになってきた」と手応えを口にしたとおり、決勝ではスタートこそ3番手と出遅れたものの、高橋と激しいマッチレースを展開。満を持して仕掛けた10周目・第1コーナーで高橋を攻略すると、追走する高橋のアタックをしのぎ切り、今季2勝目を挙げた。

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つねに勝利をめざす決意と
チャンピオン獲得への思い

 その後長いインターバルを経て、8月26日、スポーツランドSUGOでJSB1000後半戦がスタートした。ここで中須賀は、今季2度目のポールポジションを獲得。そこに油断が生まれた。「実はマシンのセットアップが満足できるレベルに達していなかったのに、もっと詰めていく努力を怠ってしまった。コースレコードまでついたので、これで十分行けるだろうという甘えがあった」。その結果、決勝レースは2位。ランキングトップこそ譲らなかったが、満足感もなく、反省しか残らなかった。
 しかし、その悔しさが中須賀をさらに強くした。オートポリスでの全日本シリーズ第7戦(JSB1000第5戦)、またしてもコースレコードで3戦連続のポールポジションを獲得すると、決勝では秋吉耕佑(ホンダ)と終盤までもつれる接戦を展開。最後には攻めのライディングで突き放し、自己最多となる3勝目をマークしたのである。また、ここまでランキング2位につけていた加賀山就臣(スズキ)が予選で転倒。決勝を負傷欠場したため、ポイント争いでも中須賀がリードを拡大。代わって2位となった柳川明(カワサキ)に対し、23ポイントのアドバンテージを握った。
 こうなると、中須賀の勢いは止まらない。続く岡山国際のシリーズ第8戦で4戦連続となるポールポジションを獲得し、決勝も序盤から果敢に攻めてくる秋吉を振りきって独走。圧倒的な強さで今季4勝目を記録し、いよいよ最終戦MFJ-GP鈴鹿を迎えることになった。ここまでのポイント差は、2位柳川に対して28。3位山口辰也(ホンダ)とは44の大差がついている。しかし、この最終戦だけは決勝2レース制で行われ、各レースにボーナスポイント3が加算されるため、2レースとも優勝すれば28+28=56ポイントを獲得することができる。けっしてセーフティリードとは言えない状況だった。
 しかもMFJ-GP当日、鈴鹿サーキットは激しい雨。何が起きても不思議ではないムードのなか、ヘビーウェット状態でレース1がスタートした。中須賀は、終盤まで慎重なライディングで単独2番手をキープし、チャンピオンに向けてひた走る。ところが、最終周の第1コーナーで中須賀がスリップダウン。21位ノーポイントに終わり、柳川との差は7ポイントに縮まった。しかし、その重圧を感じながら、中須賀は冷静だった。「転倒の原因はハイドロプレーニング。自分のミスではないし、次もやるべきことをやるだけ」と気持ちを切換えてレース2に臨み、柳川に続く3位でフィニッシュ。JSB1000クラスでは初となる、3度目のチャンピオンに輝いた。
「悪天候も理由のひとつだけれど、最終戦だけはチャンピオンを取ることを最優先し、自分の信条である一戦必勝を封印した。2010年もポイントリーダーでMFJ-GPを迎えながら、優勝にこだわって転倒してしまい、ランキング4位に終わった。個人的には、攻めた結果だったから納得しているけれど、時が経つにつれて胸のつかえが大きくなっていった。レース一つひとつの勝利は、その瞬間をみんなで共有する喜びがあるけれど、チャンピオンというのはシーズンを通して応援してくれたみなさんに感謝を表す贈り物。今年はちゃんとお礼することができてよかった。もちろん、自分にとっても名誉なこと。優勝者は1シーズンに何人かいるけれど、チャンピオンはたった一人だからね」

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不完全燃焼に終わった鈴鹿8耐
思い切りが奏功したバレンシアGP

 夏、JSB1000がインターバルの間、中須賀は昨年に続いて世界耐久選手権の強豪、MONSTER Energy YAMAHA-YARTから鈴鹿8時間耐久に参戦した。チームメイトは2011年イギリススーパーバイクでチャンピオンを獲得したトミー・ヒルと、96年の8耐優勝経験者である芳賀紀行。優勝を狙えるドリームチームの誕生に、周囲は大きな期待を寄せ、ライダーたちも予選から好タイムを連発。特にJSB1000の好調を維持する中須賀は予選3位、トップ10トライアルでは一番時計をマーク。2000年の吉川和多留/芳賀紀行組以来となるポールポジションに#7のYZF-R1を並べた。
 しかし決勝では、レース序盤、トップを独走し始めた中須賀が130Rで転倒。なんとかマシンを押してピットに戻り、ヒル、芳賀へとライディングを引き継いだが、マシンの修復を十分に施すことができず、チームは無念のリタイアを決断した。しかしこの後、中須賀はドイツのオーシャーズレーベンで行われた8時間耐久にも参戦。予選3位で決勝へ臨み、途中転倒を喫しながら7位完走を果たした。
 また中須賀は、昨年に続いて今年も、MotoGPシリーズにスポット参戦。10月14日の第15戦日本GP(ツインリンクもてぎ)では、YAMAHA YSP Racing Teamからワイルドカードで出場し、N・ヘイデンと最後まで競り合いながら9位となった。しかし、全日本JSB1000のチャンピオンが懸かった最終戦を2週間後に控えていた本人からすれば、不完全燃焼のレース。
「地元日本でのレースだし、チームスタッフはいつもMotoGPマシンの開発テストを行っているメンバーなので、昨年のバレンシアGPとは違って精神的に楽だった。しかし、それで上位フィニッシュできるほどMotoGPクラスは甘くない。それに、開発ライダーとして転んではダメだし、2週間後には鈴鹿サーキットでJSB1000チャンピオンを懸けた最終戦がある。絶対にケガなんてできないから、無難に走るだけ…。正直なところ、気持ちの線引きというか、持って行きどころがなかった」
 だがその後、モヤモヤした思いを晴らす絶好の機会が舞い込んできた。昨年6位入賞を果たしたバレンシアGPに、負傷したベン・スピースの代役として出場することが決まったのだ。開催日は11月11日。全日本選手権はすでに日程を終了しており、JSB1000チャンピオンとして堂々と乗り込むことになる。日本を発つ日、「天気予報によるとバレンシアは金曜と土曜が雨で、日曜日が晴れ。スポット参戦なのでコンディションが変わるのはちょっと辛いけれど、全日本が終わったから今回は思い切り攻められる。MotoGPも最終戦だし、みんな攻めのレースをしてくるはず。自分の力が世界でどのくらいのレベルなのかを試す、最高のシチュエーションじゃないかな」。そう言い残して、中須賀は機上の人となった。
 そしてバレンシアGP決勝。天気予報とは裏腹に、土曜日までの雨は日曜日に持ち越され、スタート直前のコースにはあちこち水たまりが残っている。ウエットレース宣言が出され、スリックタイヤかレインタイヤか、各ライダーが選択に頭を悩ませるなかで、中須賀はスリックタイヤをチョイス。レース前半は転倒しないようペースを抑え、コースが乾き始める後半に勝負をかける作戦に出た。するとこれが功を奏し、16番手でスタートした中須賀は、周回ごとに着々と順位をアップ。ロレンソやクラッチローが次々に戦列を離脱する一方、安定したペースで走り抜いた中須賀は、前年の6位を大きく上回る2位でフィニッシュ。自身初、日本人選手としては6年5ヵ月ぶりの最高峰クラス表彰台に立ち、誇らしげにガッツポーズを見せた。

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