ヤマハ発動機 統合報告書2022
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高度経済成長期 顧客視点の開発で 感動を追求パワートレイン 技術電子制御 技術車体・ 艇体技術生産技術101955ヤマハ発動機の1号車「YA-1」日本楽器製造株式会社第4代社長の川上源一(当社初代社長)が、楽器領域以外における将来の事業発展の足掛かりとして、モーターサイクル市場への参入を決定しました。既に業界内で淘汰も始まっていた時代に後発メーカーでありながら、斬新なカラーリングやデザイン、軽量で容易な取り回し性、さらに当時としては極めて重要な始動性の良さで市場に大きな話題を呼びました。さらに、製品の優劣を示す二輪車レースへの出場で確かな成績を次々と残し、技術の確かさを国内外の市場に広く示しました。1960船外機初号機「P-7」1960カタマランの FRPボート1号艇「CAT-21」高度経済成長期、「生活を楽しむ」ことが「豊かさ」につながるという思いから、水上レジャーへの挑戦が始まりました。まずは当時動力化の兆しが見えてきた漁船など業務需要を目的とし、二輪車で培ったエンジン技術を応用して市場の声を反映させながら船外機やFRP漁船を手掛け、事業領域の拡大を果たしました。また、コア領域となる二輪車では、既成概念にとらわれずマーケットインの発想で顧客ニーズを分析し、女性でも乗りやすい「Passol」を発売。市場に“ソフトバイク”という新ジャンルを定着させました。1974ボート製造技術を活かしたFRP製プール1977女性が安心して乗ることができる “ソフトバイク”「Passol」1968スノーモビルの 初導入モデル「SL350」ヤマハ発動機は、1955年7月、母体である日本楽器製造株式会社(現ヤマハ株式会社)のモーターサイクル製造部門が分離独立し、 設立されました。以来60年以上にわたり、パワートレイン技術をはじめとするコア技術を起点として、つねに新たな「感動」をお届け するために既存事業だけでなく新規事業への挑戦を続けてきた結果、製品の多軸化が図られました。人々の生活を豊かにする、 私たちの挑戦は未来に向けて現在も続いています。 1955年 創業 経済復興下、 モーターサイクル事業への参入企業目的コア技術を応用した製品ポートフォリオの拡がり感動を追求しポートフォリオを拡充してきた歴史感動創造企業

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