技報No.2 eBook | ヤマハ発動機
8/62

 遠州灘では1mほどの,また熊野灘では2mほ離100m以下で,満足すべき出来栄えであった。226kmを6時間40分で走ったから平均速度34km/h,向かい波のための減速が影響したのだろう。港には川上社長以下ほとんど全役員の迎えがあって,と この日,2番艇との差は4時間03分であった。恐らく東京湾内での迂回か,駿河湾深く突っ込む無駄足があったのだろう。我々の航法の勝利であった。また,荒れた海で20ノット(37km/h)以上を出すと船体にも体力にも無理をきたすので,我々の回転数制限がほとんどマイナスとならなかっ 翌日は御前崎→串本のコースであった。どのチョッピーな(波長の短い)向かい波があって決して走り良くはないが,初日ほどの山場もなかった。スタート以来,永大産業の8号艇にぴったり付けられて,我々の速度では振り切ることが出来ない。浜名湖のチェックポイントで別れて大王崎に向かって直走したが,潮に乗って伊良湖岬の近くを回って来た永大艇とまったく一緒になっ 向かい波がだんだん激しくなってジャンプが続く中で,ジープ罐の予備燃料を主タンクに移す作業を始めたが,強く締めすぎた蓋が開かない。ハンマーで叩くと手もとが狂って罐がでこぼこになる。泣き笑いで,準備してくれた連中の親切を怨んだものである。それでも何とか蓋を開け,2002近い燃料を移した時には,クルーの松本君は頭からガソリンを沿びて全身ぐっしょり,ガソリン ここで戦闘準備を終ったので,いよいよ競走を挑むことにする。波のため少し落としていた回転を再び正規の3500rpmに上げると猛烈なジャンプが始まるが,我慢して船にしがみつく。相手も苦しそうで,だんだん遅れてゆく。1kmも離した頃だろうか,力つきたように永大艇は急に視界から消えた。勝浦の附近であったろうか。我々も少し回転を落として,美しい岸の景観を楽しみながら余裕をもって串本まで走ることが出来た。 到着時刻は12時33分。8時間半の,素晴らしいクルージングを楽しむことが出来た。高台の宿舎に入って,風呂に浸っていると,沖から永大艇の港に入って来るのが見えた。我々との差は1時間 平和島をスタートした14隻のうち9隻が御前崎に到着し,2日目にはそのうちの8艇が発艇したが,串本に入港したのは5隻に減っていた。を並べることになった。不思議にも80km/hの高速艇は姿を消してしまっていた。そして20ノットを巡航速度と心得る船ばかりになっていた。 この日のコースはべタ凪である。我々はこの日も何とかしてトップを取りたかった。しかし,3500の永大艇は再び併走していた。他の2艇はおくれている。視界から消えるほど抜かれると作戦が立てにくくなるので,ちょっと回転を上げることもところでシアピンを切って,我々の近くに来るのだった。こうして抜きつ抜かれつ下津に達した時,私は大阪湾での戦い方について考えてみた。 下津までの岬まわりと違って,湾内ではお互いのコースが横に開いて相手艇の挙動がわからなくなる。そのままでは負けてしまう。相手は我々の写真1 東京→大阪マラソンを終えて大阪港に入   ったC−21。後続は2位天野・石井艇ても嬉しかった。たのであろう。て,熊野灘を併走する。の浸みる目が赤かった。19分であった。 3日目,串本→大阪のコースにはこの5隻が轡rpmではじりじりと15号艇に抜かれてゆく。8号ある。しかし不思議に15号艇は1〜2km先行した一 4一

元のページ  ../index.html#8

このブックを見る