技報No.2 eBook | ヤマハ発動機
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}ilあるボート・デザイナー・ レース(45km)があり、次いで7月7日には,L _                    _ _ _ヤマハ・ストライプ18その後の米国視察で,FRPの材質としての魅力やFRPボートの隆盛に強い刺激を受けられたよ 当時のFRPボート界は,すでに日本飛行機が ヤマハではCAT−21とR−13の仕上げと生産とになる。ー スは当初韓国行きの国際レースとして企画され,その後の朝鮮戦争の勃発によって急遽切り替えらけられていた。いたのである。に励む一方,後続艇の開発が活発に進められていた。この年には,カタマラン型のパワーボート・シリーズ、UT−11、 CAT−14, CAT−−16などの3機種を完成するとともに,ハイフレックス型ぎ早に開発して,ヤマハ・ボートの基礎を築くこ 時和36年正月,浜名湖館山寺温泉で開かれた華やかなヤマハの新艇発表会のせいもあってか、この年のボート界はなかなかの賑わいを見せた。ヤマハ艇の販売も300隻を越え,マスコミはボート・ブームを謳い,数多くのレースが企画された。我々開発チームは激しい開発に引き続くレース活動に忙殺された。船に乗れる人が開発チームにしか居なかったのだから無理もない。などカタマラン・シリーズで行なわれた。7月1日には大島から熱海までの水上スキー・マラソン東京一一大阪太平洋1000kmモーターボート・マラソン(略称1000kmマラソン)が、全国モーターボート競争会連合会の手によって挙行された。このレれたものであったが,我々にとって実に魅力のある,規模の雄大なものであった。 ストライプ18(S−18)を語る上で,外洋レース一 1一 昭和35年の春,ヤマハはカタマラン21(CAT−21)とランナバウト13(R−13)を20数隻揃えて,芦の湖で盛大な発表会を行なった。 かねがね楽器の量産技術を駆使して木製のボートを量産してみたいと考えておられた川上社長は、うである。そうしてヤマハでは,FRPの洋弓,スee 一の開発とともに, FRPボートの開発が続 私は,この発表会の約1カ月前にボート開発要員として入社したばかりで,いきなり昼夜兼行の展示艇の仕上げに参加して,ヤマハという会社の激しさにびっくりしたものであった。ズーマランと称する新船型の15吹艇を開発して販売に入っていたし,また日東紡は米国のベルボーイ社と技術提携して,ベルボーイ・シリーズのFRP型を導入し生産を開始していて,ヤマハは第三勢力であった。一方,木船の世界でも,米国からの技術導入で,主として米国へ輸出される船がIHIクラフト他の会社で量産されていたから,プレジャーボート界もかなり激しい競争が始まって船型のH−14,普通のV船型のR−16などを矢継 この年のレースの使用艇はCAT−14,16,21i

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