技報No.2 eBook | ヤマハ発動機
18/62

一一 度水に浸って止まったエンジンが再び活き返った。りとなった。二昔も前のことである。と思えて来るのである。熱海オーシャンカップレースを走るS−18レーサー一 14一去ってしまった。300 eの燃料を満載している1二に,上構物の無いレいに†三うじて打ち勝った,という実感であった。ー ブの中を真横に流れながら転覆もせずその姿勢を保てるとは,何という船だろう。キール付近にー ス艇だったから条件は良かったわけだが,思いもよらない船型の素晴らしさ,そして絶望とも見錯した。 私は,身体を硬くしてその場に立ち尽していた。そして,今までの凄まじい光景を思い起こしながら考えてみた。まず,軽荷で運動性のよい船の時の巻き波の逃げ方を重荷重の船に教えたのは,私の間違いだった。それにしても,ウォーターチュえた2人の命か救われた事実に,驚きと安堵が交 手酷いジャンプを続けなから,安定した正常な姿勢に戻れることは,船型のお陰である。水船になってから排水が出来たのは,位置の高い自動排水の床と船外機の組み合わせが効いたものである。たのは,金原君がこの日の荒天航海を予期して,機関の要部に防水グリースを充分塗り込めておいたためらしかった。幾つかの好運が重なって目の前に展開された光景に,私は感動し,そのまま坐り込みたいような脱力感におそわれた。 海と闘うために作られた船か、激しい海との戦しかし,恐ろしい光景を見た疲れは,その日一日,私を打ちのめしていた。 一方,商品としてのS−18の開発は順調に進んでいた。レースや今切口の一件で船体に対する自信はますます揺ぎないものとなったし,工業デザイナーの竹重晃君のデッキ・デザインは機能的で風格があt),デッキに日本最初のレサーパターンを刻んだこともあって,ほれぼれするような仕上 ボートショウの未だなかった当時,我々はこの船をモーターショウに展示して,その意気込みを示した。ヤマハの連中は命かけでボートを開発している,という噂も市場に伝わっていた。 それから翌年にかけて,この船の受注は凄まじかった。総生産量が僅か300隻ほどであった工場が,最大級の18ft高級艇を150隻近くも作らねばならなくなったのだから無理もない。それ以来,S−18は名艇と言われ,13年の長きにわたっわ生産され 1962年1月10日に開発が決定され,翌年から販売が開始されたのだったが,あれからもう20年, ところで,このロングラン艇の人気の秘密は何であろう。S−18の贅沢な作りのせいもあろうが,海と闘うことをこれほど明確に打出した船が後にも先にもなかったところに,その原因があるように思われる。この船には,太平洋マラソンに命を賭けた6人のさむらいのひたむきな船への情熱が実っている。また,身をもってこの船の限界を試すことになった金原君や寛君のいのちがけの試練が,この船を麿き上げている。その心を素直な形で商品にまとめたS−18は,やはり普通の商品とは異質なものを持っていて,少しも不思議はない

元のページ  ../index.html#18

このブックを見る