技報No.2 eBook | ヤマハ発動機
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      真de   煉←  鞠炎同じくS−18SPたことがある。計担当の寛君だった。旋回して,崩れ波の一ドに入るのを避けようとした。一 隻の船影も人影もない。まして,漁船の出漁できない荒天の巻き波の中で,救命か出来るはずもように努力するのだが,その後の・奈落へ落ちてゆくようなその時間の中で,船は60度もの前上りから,どうかするとほとんど真上を向いた姿勢で,船尾から波の谷へ落ちる。仰向けにならぬよう祈りながら落ちてゆく時間は何時も恐ろしく長い。ただ,前進速度が多少ともあるので,着水後少しの時間があって,結局前に倒れて正常な姿勢にもどれるのである。誰だってこの恐ろしさは何とかして避けたい。一度私はS−18で,崩れかかる波の直前で旋回して引返し,恐怖のジャンプを逃れ この日,S−18の艇長だった金原君(東京→大阪マラソン乗貝)に私はこの事を伝えて,危ない時の蚊後の手段としていた。コ・ドライバーは設と,S−18が思い切って波に向かった。その時,意外に高い波が金原艇長の前で立ち上った。彼は18の動きは鈍かった。吸い込まれるように横向きのまま,艇は波の腹を上って90度右に傾き,船の上面が私の方に正対した。崩れ波からの脱出は失敗だったのである。上からの崩れ波をかぶってSら,真横の姿勢のまま波乗りを続けた。このレース用のS−18には2つのステアリング・ハンドルを取付けていたから,コ・ドライバーの寛君も船にしっかりと取付いていられたのは仕合せだった。 波が崩れ切った時,水船になってもう沈んだような船が,転覆もせずに浮いているのが奇跡に思えた。2基の船外機は止まり,荒波の中で遭難したこの船を救う方法を夢中で考えたが,その手だ’てはなかった。常識では船の出せない荒天の早朝,ない。身を硬くして見ているしかなかった。S−18は旋回した時に突堤の西側に出てしまったから,もう一度巻き波を越えないと戻ることの出来ない砂浜の沖に浮いていた。 突然,一基の船外機が始動した。6本のシリンダーの中の何本かが息を吹き返したのだろう。S巻き波にさしかかると,船は真.ヒを向いて,船尾が波頭から1mぐらい離れるほどに飛びヒり,その姿勢のままゆっくりと波の向こうへ消えてゆく。トランサムが水に当って沈みが止まる風もなく,どこまでも奈落に沈んでいくように見える。この辺の波高は5.5mの船の長さより大きかったと考えるしかない。いよいよだめか,と再び助け方を考え始めたとき,沖の巻き波の上に再びS−18が飛び上がる。何回か,希望と絶望の問を往復するうちに,S−18は巻き波の圏外にとうとう出てしまった。僅か1〜2kmの巻き波圏を30分以上もかけて,やっと脱出することができたのである。やが− 18はウォーターチューブの中に見え隠れしなが CAT21が無事崩れ波を乗り切って沖に出たあしかし3009の燃料料満タンにしたこの日のS−− 18はのろのろと再び沖に向かった。4〜5mの一 13一昭和37年10月のモーターショーに展示されたS−18CR1号艇てCAT21と合流したS−18は鳥羽の方向へ走り

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