技報No.2 eBook | ヤマハ発動機
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・ ストライプ18」(S−18)は,海と戦う船としてって来るように,ということで,朝早くCAT21一 12一しい航海であった。レース後NHK「それは私です」に出演した3人事件が起こった。一 18を我々は夢の船へと育てていった。た。 18ft艇としては賛沢すぎた面もある。しかし,昭和36年当時の税制では,6m以上の船には40%の物品税がかかり,その上,総トン数5トン以Llのプレジャー・ボートには禁止的な免許制度,検査制度があったから,18ft艇はプレジャー・ボートの上限に近い位置に既にあったのである。 秋に入って,息の根も止まるかと思うほど驚く 的矢に滞在中の川上社長からの指示で,船を持とS−18が浜名湖の湾口,今切口(通称いまぎれ)を出港,的矢港に向かおうとしていた。仕事の都合で私は残って見送る立場にあったが,何か胸騒ぎがして、車で今切口の提防まで送りに出た。 今切口は,浜名湖が太平洋と通ずる僅か150mほどの水路で,潮の干満と風の方向が逆向きになる時の激しい巻き波は,土地の漁師にも恐れられていた。また我々にとっても最も恐ろしい海であっ 近年は堤防の増設などで激しさが大分柔らいだけれども,当時の我々は,10分,20分と,巻き波の小さい頃合いを見計らう波待ちの上,目をつぶって小さめの巻き波に真直ぐ突っかけるしかなかった。折り悪しく大きな巻き波に突っ込む時には,波への上りで少しスロットルを開け,急激に閉じながら白い波頭にバウを当てるようにする。そうして,波を飛んだ後の姿勢がなるべく平らである耐えて,我々は夕方5時21分,御前崎港に入港することが出来た。13時間06分の極限ともいえる呂: 岸壁の.Lにへたばっていると,30分ほどして岡田艇が入港してきた。ロープで縛り上げたエンジンを串本から回し続けて,何とすごい連中だとあきれ返ってしまう。もう…隻,全モ連の島田・水越組か6時半頃入港して来た。この荒海を乗り切った仲間に対して,何とも言えない親しみを感じたものだったが,残念にも6時のタイムリミットに引っかかって,このボートは失格になった。 翌日は暴風雨のためレースは1日延期され,翌々日,最終日のレースが行なわれた。 この日は,前々日に比べると嘘のような静けさで,何ということなく,平和島に入港してレースは終った。(レース結果,表2)        今切口事件 レース後間もなく,ヤマハ・モデファイの船型を商品に採用することが決定され,レース艇をもう一度仕上げ直して,雌型が取られた。白い船底に8本のスプレー・ストップを持つ我々の18ft艇は,白長須鯨のような特異な姿を持っていた。 jll上社長はこれに“ヤマハ・ストライプ”と名付けられ,レースの実績に裏付けられた「ヤマハの性格を明確に打出して仕上げることになる。 モデルは「スポーツ」,「カスタム」と「クルーザー」の3種を作り,船内外機の搭載が標準だが,トランサムを切り取ることによって船外機の搭載も可能な形状とした。その中で「カスタム」の船外機仕様がレース艇のレプリカ版であった。 「カスタム」と「スポーツ」は,ほとんどレース艇と同じ配置を取り,計器板は立ったままの運転でも見易いよう平らに,スロットル・レバーの位置も高めにした。米国での視察で米国製ボートの蟻装品はほとんど判っていたが,防舷材やサッシュの構造はその中でも最高級な方式を選び,S

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