技報No.2 eBook | ヤマハ発動機
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・ タンクからポンプで燃料をポータブル・タンクである。/hほど速くなっていた。方針が示された。らく中位であったろう。 早速,ヤマハ・モデファイの船型に取りかかった。滑走状態でさらに抵抗を減ずるには,キールに近い船底の勾配を少し減ずることが望ましい。その部分で走る時の乗り味は少し硬くなるが,その分,チャインに近い船底の勾配を大きくすれば,最大の衝撃は原型よりも緩和される。これは外洋レーサー向きの緩衝特性である。 飛行機の脚は,接地の瞬間意外に反力を感じるものの,その後沈み切るまで反力が変らない。それは、接地から沈み切りまで最大衝撃を低く一定に押さえて,限りあるストロークで最大のエネルギーを吸収するために取られる手法である。ヤマハ・モデファイは,この特性にならった。 小波の衝撃は,バートラム型より堅く感じられるが,この船はもともと海と戦う船として性格付けをするつもりだから,問題とするに当らない。最大衝撃を緩和することが体力維持につながるの 事実,私はコクピットに立ったままで落下試験をやってもらい,1mから順次高度を上げてみたが,最高の3.5mからの試験でも,膝を直角に曲げる程度で衝撃を吸収できた(写真3,4)。 もう一つの,静安定が弱いという点の対策として、一番外側のチャインに近いストライプの外側に肉付けをして,腰を強めた。 もうバートラムとは似ても似つかぬ型となって,特許でも引っかかる心配はない(図2)。 この試作艇を造りあげて走ってみると,結果はまったく見込みどおりであった。速度も1〜2km 4月には昭和37年度のレースの方針が決定された。メーカーが直接レースに乗り出すことはユーザーの興味を殺ぐから止めにする,という川上社長の方針だった。外洋に強いこの18ftをユーザーに貸し出して,熱海e大島往復の水上スキー90kmレースと、大阪→東京1000kmマラソンに出てもらい,ヤマハはこれをバックアップするという基本 6月24日,芦の湖の水liスキー・グループ岡田・横山組と,高橋・飯田組がこの船を使って水kスキーレースに出場したが,残念ながら敗北に終った。敗因はナビゲーションの失敗で,岡田さんは,90kmであるはずのコースを計算上135kmも水上スキーで走ったことになる。高橋さんの成績も航法が充分でなく,芳しいものではなかった。 大阪→東京 太平洋1000kmモーターボート・マラソンには,急拠方針を変更して,私と,前年14ftの小艇(17号艇)で同じマラソンを完走し4位に入った内田君(現ヤマハボート設計部長)が横浜ヨット㈱在籍のまま,ナビゲーターとして乗船することになった。高橋艇長はヤマハ・モデファイの船にマーキュリー100馬力船外機2基を付け,飯田さんがエンジン担当,私が航法担当で乗り込んだ。この船の最高速度は80km/hに及んだ。もう一つのバートラム型は岡田艇長,横山エンジン担当と内田ナビゲーターが乗込み,機関は85馬力と80馬力のマーキュリー船外機だった。 この年は,100馬力のマーキュリー2基搭載が上限と決められていたので,この上限の艇が多く,11隻の出発艇のうち5隻を数えた。それぞれ,軽荷では80km/h附近の最高速力を持っている。 第1日目は,大阪→串本のコースで前年のまったく逆である。静かな大阪湾はスピード・レースの観を呈していた。今回は出力に関する社長指示がなかったが,私達は出来るだけ余力を持って走るように気を使った。しかし,大阪湾の中ほどでタンクの出口にゴミがつまって,飯田さんがメンに移し,ポータブル・タンクからエンジンに供給するという作業を余儀なくされた。このトラブル中に抜かれて,自分の順位は判らなくなった。恐 しかし,串本の手前50km程から波が出て70〜80一 9一 前年と同じく7月7日に控えた太平洋マラソン

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