MJ-VX Deluxe
ラインナップを底支えするモデルとして開発。企画コンセプト(廉価モデル=安物イメージとならない)に基づき、デザインに取り組んだ。このモデルの成功を契機に、他社も含めて付加価値のある廉価モデル設定にシフトした。
日本国際博覧会(愛・地球博)開催
第6代社長に梶川隆が就任
創立50周年
ロシアにYMCISを設立
コンプライアンス推進委員会を設置
原油価格高騰
世界金融危機
フィリピンのYMPHで二輪車の製造・販売を開始
ヤマハデザイン展KEYSを開催
カンボジアにYMKHを設立
インドにIYMを設立
特許の期限切れにより3Dプリンターの性能向上、低価格化が進展
第7代社長に戸上常司が就任
第8代社長に柳弘之が就任
東日本大震災発生
次世代モビリティ社会構築に向け
「つながるバイク」でトヨタ自動車(株)と協業
エルム・デザインをYMCに移管
デザイン本部を設置
第1回GECを開催
創業者・川上源一が自動車殿堂入り
菊川市に二輪車テストコースが完成
ヤマハクリエイティブハッカソンを初開催
UX体系としてマテリアルデザインが発表される
リーニングマルチホイールの第1弾 TRICITYを発売
次世代小型高性能エンジン“BLUE CORE”を開発
研究・開発を重ねてきたLMW(リーニング・マルチ・ホイール)機構を技術部門がモノにした時、その新しい技術をまずどのように使うべきなのか、まだはっきりしたシルエットは見えていなかった。そこでデザインコンペを実施することになった。一方のアイデアの主軸は、LMWの最も特徴的なリーンという特性をスポーツ方向に表現したものだった。お尻をずらして車体を倒し込み、フロントサスストロークの長さをきっちり見せるアイデアは多くの関係者の目にも非常に魅力的に映った。もう一方のアイデアは、親しみやすさをベースとした「お客様を広げる」コミューター方向の提案だった。新しい乗りものとして打ち出し、二輪車への乗車経験のないお客様も取り込んでいくという考え方はより一層魅力的だった。ヤマハ初のフロント二輪、いずれにしても事例がない、そして何がベストなのか基準もない中で、通常モデルの3~4倍ものデザインアイデアを創り、それらを検討する機会も格段に多かった。その成果は、フロント二輪の新しさが一目でわかり、しかもヤマハらしいという評価を受けたデザインとして結実した。