Y-14 Sea Hopper
カートップが可能な新しい一人乗りディンギーとして提案。日本版レーザーとして、ディンギーセーリングの入門者の拡大に貢献した。乗りやすくエキサイティングな簡易版のMini Hopperとともにシリーズ展開し、セーリングスポーツの振興に寄与した。
ヤック(YAC)設立
スポーツランドSUGOを開園
ゴルフカーの第1号機YG292を発売
産業用ロボットの第1号機アーク溶接ロボットを発売
ヤマハインターナショナルコーポレーションの
当社関連部門がYMUSとして独立
ランドカーの第1号機G1-ADを発売
除雪機の第1号機YT665を発売
ATVの第1号機YT125を発売
日本、自動車生産が世界一に
GK展を開催
アイ・ディー・エル(IDL)設立
国際デザイン交流協会設立
スペインにSEMSAを設立
日米貿易摩擦顕在化
フランスのMBK社と二輪車の
製造・販売の業務提携を締結
スウェーデンのオーリンス社と業務提携を締結
第3代社長に江口秀人が就任
オーストラリアにYMAを設立
中国の北方工業社と二輪車の技術援助契約を締結
インドのエスコーツ社と二輪車の技術援助契約を締結
GUIの普及が始まる
アメリカのフォード社と自動車エンジン
供給の仮契約を締結
国内二輪車需要を多くの女性層にまで拡げたその基点は、二輪業界外のデザイナーによる商品の企画だった。自動車デザイン、音響機器デザインで実績のあった二人のデザイナーを核として設立されたYAC(ユースフル・アドバンスド・クリエーターズ)が、当時の経営陣から投げかけられた「従来とは違う乗りものを世に送り出したい」「できれば女性に乗ってほしい」というテーマに取り組んだ。立ち乗りの二輪車、安定感のある三輪車といった膨大なアイデアは、やがて足を揃えて乗れるステップスルーの新しい乗りものへと集約されていった。設計担当者はデザイナーから1/1スケッチを見せられ、その斬新なコンセプトに驚くとともに、実現に向けてこれまでにない評価と検証を行なった。
それまでのヤマハ船外機のイメージを牽引してきた青・赤・黒のストライプは、それぞれ信頼性、パワー、扱いやすさを表現していた。それはひと目でヤマハ船外機だとわかる水辺の見慣れたアイコンでもあった。だからこそ、黒と赤、オレンジ、グレーの配色にブロックパターンを組み合わせた新たな提案はスケッチ段階から強い抵抗にも遭った。E40G とケロシン燃料対応のE40GKは、業務用として専用開発した最初のモデル。世界各地の過酷な条件下での使用を想定し、動力性能はもとより高い耐久性と信頼性、そして優れたメンテナンス性が追求された。「その逞しさをグラフィックで表現したい」と願うデザイナーからの提案だった。アフリカ、アジア、中東、南米、そして南太平洋の島々、それぞれ厳しい市場環境に送り込まれたこの新しいグラフィックのモデルは、市場の景色、そこで営まれる暮らしや産業に見事なまでに溶け込んで世界の人々に親しまれた。ここにプレジャーモデルのスピード感と一線を画す、ヤマハ船外機のもう一つのライン「エンデューロシリーズ」が誕生した。