Mate U5
ビジネスモデル「メイト」シリーズの初代モデル。その5年前に発売したMF-1の経験を活かし、「これぞモペットの決定版」という完成度を追求した。Uボーンフレームが描くUラインボディは、老若男女の誰にとっても親しみやすさがあり、「おしゃれな女性も乗りやすく、服装も汚れにくい」といったポイントも訴求された。スポーティなガソリンタンク、シートからリアキャリアにかけてのデザインは、ヤマハスポーツモデルの流れを汲むものであった。
日本、貿易収支で黒字基調に転換
第1回日本インダストリアルデザイン会議開催
トヨタ自動車工業(株)とトヨタ2000GTの生産で業務提携
ヤマハ初のFRP漁船を建造
いざなぎ景気
季刊誌「デザイン批評」創刊
日本楽器製造(株)より輸出業務を全面移管
台湾の巧学社と二輪車の生産技術援助契約を締結
オランダにYMENVを設立
シカゴトレードショーにスノーモビルの第1号機SL350を出展
三信工業(株)がグループ会社となる
袋井市にヤマハテストコースを開設
日本万国博覧会(大阪)開催
万博に準備段階からデザイナーを動員
ブラジルにYMDBを設立
インドネシアのハラパン社と提携し二輪車の生産を開始
京都デザインセンター設立
GKデザインインターナショナル設立
舟艇事業部設計部デザイン室設立
本社を磐田市に移転
カナダにYMCAを設立
アメリカのブランズウィック社と合弁契約を締結
ポータブル発電機の第1号機ET1250を発売
日本、戦後初のマイナス成長
第2代社長に小池久雄が就任
FRPプールの製造・販売を開始
モペットのクレーム対応に端を発し、創立以来最大の経営危機に直面したヤマハは、二輪車事業を底支えする新たな商材を探し求めていた。汎用エンジン、瞬間湯沸かし器、そしてエンジン付き自転車など各種の製品が検討されたが、英字新聞に掲載された「北米で雪上車が大人気」という小さな記事をきっかけにスノーモビルの開発が始まった。温暖な遠州地方での雪上車開発は困難を極めたものの、2度目の北米テストで要求値の高い現地テストライダーから性能面での合格点を得ることに成功。企画がスタートしてからわずか2年のスピード開発だった。しかしその一方でスタイリングについては「まるでスリッパのよう」と酷評を受け、モーターサイクルで実績のあったGKデザインから2名のデザイナーが新たに参加することになった。フロントを高く反り上げた独創的なスタイリングや、ホワイトとグレーのシンプルなカラーリングは前回とは打って変わって北米での市場調査でも好評だったが、雪に潜り込みやすいなどまだまだ課題も多く、皮肉をまじえて「白ネズミ」と揶揄も受けた。しかし、この胎動期における逆境への挑戦こそが、過酷な環境においても、レジャーや業務のシーンで活躍する信頼のヤマハスノーモビルの原点となった。
オフロードでの走行機能と美しさを両立させた国産初の本格トレール。スリムな車体とワイルドなタイヤ、そして長いサスペンションストロークが、まるで駿馬を目の当たりにしたような新鮮な衝撃を与えた。開発は徹底して機能追求という姿勢が貫かれ、デザイナーにも細部に至るまで多数の必要条件が提示された。「なのに全体を見ても、個々のパーツを見てもスタイリッシュ。すべての要件を満たした完全なる機能美に、言葉もなかった」と当時の車体設計担当者は振り返る。パールホワイトにピンストライプの入ったタンクの塗装は、アコヤ貝をフレーク状にしての研究、3回塗装して2回焼き付けたストライプなど、ピアノ塗装で培ったヤマハならではの執念で技術革新を遂げた成果でもあった。乗車した瞬間にスリムでコンパクトな車体を実感できるよう、マフラーを含め、徹底的に車体幅を詰めたデザインとなっている。