YAMAHA MOTOR DESIGN

ヤマハ発動機株式会社

Yamaha Motor Design Stories 造形譚

沼田 務

先人のラインを疑ってみる。

株式会社エルム・デザイン 元代表取締役社長

沼田 務

ぬまた つとむ

1955年・東京都生まれ。多摩美術大学卒。電子機器メーカーを経て、1982年ヤマハ発動機のデザイン子会社アイディーエルに入社。国内原付スクーターを担当した後、先行開発を担っていたヤック及びヤマハ舟艇デザイン室と合併したエルム・デザインで日欧のMajesty、アセアンのMioなどのデザイン指揮を執った。

その評価会が開かれたのは2011年夏のことだった。社内に新しいデザイン組織を発足するにあたり、その新組織にエルム・デザインを合体すべきか否か? 長い間、検討を重ねてきたワーキンググループの結論は○。しかし、自分だけは○がつけられなかった。

私は、エルム・デザインという集団に対し、「製品デザイン能力を最高にするために育ててきた会社」という自負を持っていた。

アウトプット至上主義を掲げて、それを限界まで高めるためにプロスポーツ選手のような年棒制を導入し、また創造性をより発揮できるよう大胆な裁量労働制も整備した。

そうした環境の中でハツラツと仕事をしてきた連中を、大きなメーカーの組織に放り込むことが果たして良いことなのか、経営陣もそれを気にかけていたし、私自身もこの懸念を払拭しきれなかった。

ヤマハ発動機は、創立時から「デザインのことは専門家に託すべし」という考えを持ち、実際にそうしてきた会社だ。

社内理論の影響を受けないようデザインを分離するという姿勢はデザイン業界にも広く知られ、自分自身もそれに惹かれてアイディーエルに入社した。ヤマハに唯一残っていた舟艇デザイン室のデザイナーでさえ、1995年にはその多くがエルム・デザインへと転籍した。

しかし、時代は変わる。ブランド戦略と製品デザインを関連づけていかなくては、デザイン重視を標榜する会社にはなり得ない。デザインを大切に扱ってきたと自認するなら、なおさら変化を躊躇してはならなかった。デザイナーの活躍するフィールドを広げることで、その高みをめざしていこうと自分たちは決めたのだから。

思い返すとアイディーエル、そして後のエルム・デザインは、モーターサイクルとは別の価値軸を生み出す子会社という側面を持っていた。家電や弱電、建築などの出身デザイナーが多かったのも特徴の一つだった。常に新鮮感のあるシャレたモノを表現したいという意識がDNAとして強く流れていた。

もちろん新しいモノを生み出す時には迷うことだってある。怖いのは、「新しい」という言葉の裏返しの自己満足や勇み足。ダーウィンの進化論ではないけれど、もしその進化の瞬間に自分がいたら別の選択をしたのではないか? と疑ってみることはとても大切。

もしかしたら、それまで信じ込んでいたかたちの理由は、製造方法の進化などによってすでに意味がなくなっているかもしれない。

新しい動機が見えれば、新しいかたちも見えてくる。未開の領域を切り拓くのは楽しいものだ。

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