高校生のころ、DT-1を見て衝撃を受けた。バイクのことがよくわからない自分は、DT-1が放つオーラに一瞬にして魅せられた。とにかく美しく、憧れを抱いた。それがヤマハデザインとの出会いだった。
その神髄は「美しさ」だと思う。「美しさ」をこれほど長きにわたって取り組んできた会社は日本にはないと断言できる。私も、「色気」や「生命感」を考え続けてきた。ただし、美しさは抽象的ゆえこれが美しさだと断言することは難しい。しかし、インダストリアルデザイナーにとって造形には理論に基づく理由が必要だ。我々にとってのデザインとは、機能と性能の美的視覚化でなければいけないと考えている。
少年のころ飛行機に取り憑かれ、基地に通い最新鋭ジェット戦闘機を目に焼き付けてきた。
なぜ、惹きつけられたのかには理由があった。かたちを創るのは空気なのだ。操縦席から翼、エンジンまで様々なエレメントが融合する流体力学的な断面変化が、航空機を艶やかに生きいきと飛翔させる。それに対してエアインテークだけは流体に抗い口を開き貪欲に空気を吸い込む。その威圧的な形状もまた理にかなっている。
このように自分の目で感じとった経験が、ヤマハの動態デザインの考え方につながっている。初代VMAXは、その考えをもっとも色濃く反映したモデルだと思う。
一方で、デザインはデザイナーのひとりよがりであってはならない。それは性能も同じだが、使う人に何をもたらすことができるかをまず考えなければいけない。
川上源一さんと栄久庵憲司さんが出会ったYA-1の時代、すでにそれはそこにあったと言える。ヤマハ製品を通して人々に豊かな暮らしを提案したい、一方で、デザインの啓蒙によって社会と人に豊かさをもたらしたいと考えた両者の出会いは、実用のオートバイとは異なる出発点におのずと立ったのだと思う。
1980年、アメリカでデザインの仕事をしていたころ鈍足のXS650 Specialで、アメリカ大陸を往復するソロツーリングに出かけた。ホワイトハウスから4日でロサンゼルスに戻るという無茶がバイクとの時間を濃密にした。曲がらず、止まらず、ひたすら真っ直ぐ走る。これがいい。
頭では理解できないその土地の文化や人の思いを五体と五感で知る機会となり、アメリカの大地で存在するかたちを実感できた。
デザインは、世界の人の生き方を深く考えることであり、人に寄り添いともに生きていくことだ。オートバイとはその人にとって何であるか、そうした問いを向け続けること。そこから美しさを創出すること。それがヤマハをヤマハたらしめるデザインであると思う。