ヤマハでは、生活に密着した新しい乗り物として、早くから自転車が苦手とする坂道などで補助動力を用いるハイブリッド(人力と補助動力との融合による)自転車の発想があった。小型エンジンを搭載した自転車などは1970年代から研究を始めていたが、バッテリーと電動モーターのセットにより、ペダルに動力を伝える新方式の開発がスタートしたのは1988年4月。従来の自転車の乗り方そのままで、ペダルをこぐ力に応じて電動モーターが適切な力を発揮し、違和感なく補助するシステムだった。

「パワー・アシスト・システム・ユニット」

開発で最も重要な課題になったのは、人力と連動して、最適な補助動力を伝えるための制御機構だった。幸い、ヤマハはエレクトロニクス分野の技術革新が急速に進んでおり、電動モーターの回転を的確にコントロールする制御機構を開発できた。当初、マイクロコンピューターの頭脳であるCPUは8ビットで補助動力の制御はギクシャクしがちだったが、16ビットの採用で、人の意志に応えるスムーズな回転制御を実現できた。開発は順調に進み、「PAS(パス)」(パワー・アシスト・システム)というネーミングも決定した。

電動ハイブリッド自転車「ヤマハPAS」(1993年11月発売)

商品化に当たっては、道路交通法が大きな焦点となった。誰でも手軽に乗れるためには、運転免許証やヘルメットが不要な自転車の扱いになることが重要だった。

1990年8月、運輸省(現・国土交通省)と警察庁への提案を開始。当時、「電動ハイブリッド自転車」というカテゴリーは存在しなかった。ヤマハは、自転車の延長線上にあり、動力は人力をアシストする役割であることを説明。関係官庁も、省エネルギーで、交通渋滞や排ガスなどを減らす便利な乗り物として、公益性や社会性に理解を示した。

「ヤマハPAS」発表会(1993年7月)

1990年7月27日に発表したPASのキャッチフレーズは、「人間感覚を最優先した、人にやさしく、地球にやさしいパーソナルコミューター」。まったく新しい商品ということから、販売店への技術指導やサービス体制の構築なども不可欠だった。発売に当たっては慎重を期し、まず1993年11月1日より、神奈川、静岡、兵庫に設けたモニターショップで地域限定販売をスタート。発売を前にして限定台数の1,000台を超える予約が殺到し、急きょ3,000台の増産をすることになった。また、体験試乗会を開催。1万人の試乗者を集め、アンケートを取って、商品と販売サービス体制に反映させた。

こうしてPASは大ヒット商品となり、1994年度の生産計画1万台を急きょ3万台に増加させた。他社も参入し、電動アシスト自転車の普及が進んだ1997年10月には、PAS動力ユニットの累計生産は25万台に達した。

「ヤマハPAS」第1号車引き渡し式(1993年11月5日)

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